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特別番組

[3·1独立運動100周年記念特集] ディルクシャと琥珀のネックレス : そこに第二の祖国と家がある

2019-03-04

ディルクシャと琥珀のネックレス : そこに第二の祖国と家がある

アメリカのカリフォルニアで活動するアーティスト、ジェニファー・リンリ・テーラーは
父親の生まれ故郷に関する話を聞きながら育ちました。
遠い異国の地、韓国にある「ディルクシャ」、サンスクリット語で「喜びの宮殿」と
名付けられた家で暮らしていた子どもの頃の話でした。
韓国で生まれ、韓国で育った父親が遺言として残した言葉は「故郷に帰りたい」でした。
ジェニファーが父親の大事な遺品を韓国に寄贈した理由です。
彼女が寄贈した遺品は、今、ソウル歴史博物館で開催されている特別展を通じて公開されています。

「ディルクシャと琥珀のネックレス」
これはジェニファー・テーラーの父親、ブルース・テーラー、そしてブルースの両親であるアルバートとメリー・テーラーへと遡る長い物語です。

ブルース・テーラーが生まれ育った家は、大きなイチョウの木があり、美しい庭園に囲まれた「ディルクシャ」。赤レンガ造りの「ディルクシャ」は、ソウルで暮らすことにしたアルバートとメリー・テーラー夫婦が建てた家で、1942年、彼らが強制的にアメリカへ戻るまでいつも「喜びの宮殿」となってくれた場所です。

礎石に刻み込まれた「ディルクシャ1923」という文字が発見されるまで、長い間「お化け屋敷」と呼ばれていた不気味な建物。
ディルクシャの主だったテーラー夫婦は日本に奪われた主権を取り戻すため命をかけて戦った韓国人の姿と3·1独立運動を目撃します。事業家であり、AP/UPI通信員としても活動していたアルバート・テーラーは、こうした韓国の現状を世界に知らせ、韓国の歴史の一部となりました。

テーラー夫婦がソウルを離れてからも「ディルクシャ」は韓国の独立運動と植民地支配からの解放、韓国戦争など波乱に満ちた韓国の近代史とその傷を乗り越え、再び立ち上がる韓国人の姿を黙々と見守ってきました。

太平洋の向こうに第二の祖国と家がある、いつか自分が死んだら韓国に葬ってほしいと話していたアルバート・テーラー、そしてソウルの「ディルクシャ」で暮らしていた頃を思い浮かべながら回顧録「琥珀のネックレス」を書いたメリー・テーラー。
韓国人以上に韓国を愛したこの夫婦の足取りを追って、主権を奪われた残酷な時代にも最後まで屈することなく立ち上がった韓国の独立運動を振り返ります。


Photo : SEOUL MUSEUM OF HISTORY

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