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歴史

申師任堂

2011-06-16

<b>申師任堂</b>
2007年11月、韓国銀行は2年後の2009年に発行される5万ウォン札の肖像画の人物を発表しました。
朝鮮中期の芸術家、申師任堂(シン・サイムダン)がその主人公でした。
彼女は韓国の紙幣に登場した最初の女性です。

1504年、申師任堂は母の実家の江原道(カンウォンド)江陵(カンルン)で生まれ、成人するまでここで育ちます。
一般的に朝鮮時代は父系中心の家族文化が発達していたと思われていますが、そのような文化が根付いたのは17世紀以後のことで、彼女の育った朝鮮時代中期までは女性が結婚後も両親と同居するケースが珍しくありませんでした。
娘5人の次女として生まれた彼女は、幼い頃から才気活発な娘で、7歳頃から一人で絵を描くようになります。
そんな彼女の才能を見つけた外祖母は紙を買い与えるなど、積極的に支援します。
そのおかげで彼女は、虫、ブドウ、梅花、蘭草などを美しい色彩と精密な線で表現するようになります。
彼女の描いたイナゴの絵を見て、鶏が突付いて食べようとしたという逸話も伝わるほど、その才能はずば抜けたものがありました。
その他にも、彼女は幼い頃から儒教の経典や賢人の文集を読み、詩と文章を書くことにも長けていました。

そんな彼女が1522年19歳で李元秀(イ・ウォンス)と結婚しました。
そして彼女の母がそうしたように彼女も、結婚後も男の跡取りのいなかった実家で暮らします。そして4男3女の母となります。
特に3男は朝鮮儒学の双璧の一人、李珥(イ・イ)で、彼は母とともに韓国の紙幣の顔として5000ウォン札にその肖像画が使われています。
また、長女のイ・メチャン、4男のイ・ウも詩と絵画に長けた芸術家となります。
そして彼女は朝鮮の良妻賢母の鏡と言われるようになるのです。
1551年、夫が水運判官として今は北韓の平安道(ピョンアンド)に赴任した1551年、48歳で亡くなります。

しかし死後も彼女の名声は高まり、現在でも彼女の残した絵画と詩は国立博物館をはじめとする多くの美術館や博物館に保管され、朝鮮時代を代表する芸術品となっています。

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