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歴史

異次頓

2011-07-14

<b>異次頓</b>
殉教という言葉は普通、キリスト教の伝来の時などによく使われますが、韓国では仏教にも殉教した人がいました。新羅時代の異次頓(イチャドン)という人物です。
彼が処刑されたときには、その体から真っ赤な血の代わりに真っ白な乳のようなものが噴出したといいます。そして彼の殉教を契機に仏教が新羅の社会に根を降ろします。

異次頓は新羅第22代王の智証王の時代、506年頃に生まれたと伝えられています。
異次頓は智証王の父である葛文王の血筋の人物です。
若くして官職についた異次頓は智証王の後を継いだ法興王の近臣となり活躍します。
彼は法興王とともに、仏教を国教にしようとしますが、土着信仰を崇拝していた臣下たちの激しい反対にぶつかります。そこで王の悩みを解決しようと、王に進言します。


「祖国のために死ぬことは臣下の道理です
王のために命をささげることは民の意志です
ですから私が寺を建立し始めたら、私が法を犯したとして罰してください」


隣国の高句麗は372年、百済は384年にそれぞれ仏教を国の宗教としていましたが、初期から民間信仰が活発で、自分たちを神のような存在だと信じていた貴族階級の影響で、新羅だけは仏教が受け入れられずにいました。
平和と慈悲、精神の発展が物質的な幸福よりもより大切だと信じる、この新しい宗教の時代を開くために異次頓は自ら犠牲となることを決意します。
異次頓は新羅の土着信仰の聖地だった天鏡林に仏教の寺を建て始めます。
彼が王の命を受けて天鏡林で仏事を始めたという噂を聞いた貴族は王に抗議します。
すると法興王は自分はそのような命令を出した覚えはないと異次頓を呼び出します。
法興王と貴族の前に呼び出された異次頓は


「仏の教えを広めて国を平和にし、国運を盛んにしようというのに、何の罪があるというのか。仏がおわすなら、私が死んだあとに必ず奇跡をおこされるだろう」


と言い残し、処刑されました。
そして彼の予言どおりに、切られた彼の首から白い乳のようなものが噴出すと、突然あたりが暗くなり、天から花びらが舞い降りてきたのです。
この奇跡をその目でみた貴族たちもようやく折れ、新羅は527年に仏教を国教にします。
異次頓はその後、新羅の十聖として、544年に完成した興輪寺の金銅に祭られています。

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