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文化

李浩哲(イ・ホチョル)の短編小説「大山」

2020-02-04

ⓒ Getty Images Bank

朝、目を覚ますと初雪が降り、こんもりと積もっていた。

そして、門の横のブロック塀の上に

白い男物のゴム靴、それも片方だけがおとなしく置かれていた。

妻と私は妙な不気味さを感じた。

「何でゴム靴が...誰かのいたずらかな。」

「いたずらでゴム靴を置くもんですか。」

私はその奇妙なゴム靴を手に取ってじっくり見てみた。

間違いなく男物、片方のゴム靴だった。

「昨日の夜も鉦を叩く音が聞こえたわ。

また誰か巫女を呼んでお払いの儀式でもしたのかしら。」


아침에 깨어보니 온 누리에 수북하게 첫 눈이 내렸는데,

대문 옆 블록담 위에

왠 흰 남자 고무신 짝 하나가 얌전하게 놓여있었다.

아내와 나는 다 같이 꺼림직한 느낌에 휩싸였다.

“왠 고무신일까. 누가 장난을 했나”

“아무리 장난으로 저랬을라구요” 

나는 그 이상한 고무신짝을 들고 이모저모 뜯어보았다.

분명히 더도 덜도 아닌,남자 고무신짝 하나였다.

“어젯밤도 꽹과리 소리가 밤새 나던데요.

 어느 집에서 또 굿을 하는 모양이던데...”



庭に放り捨てられた片方のゴム靴を見つけたその家の家族は

悩むこともなくこっそりとゴム靴を近所の庭に投げ捨てます。

ゴム靴が放り込まれた家の主もまた他の家に投げ込んだことでしょう。

こうして町中を回り回って、

ゴム靴は再び主人公の家に戻ってきたのでした。



私はすでに災いがごてごてこびりついたような

片方のゴム靴に触れるのもいやで、横目で見ながら不満をもらした。

「どうもこうもないわ。私が処理します。」

妻は殺気立った顔でつぶやいた。

「処理するって、どうやって?(夫)」「遠くに

同時に、小学校4年生の時に見たあの片方の「地下足袋」と

雨雲に隠れていた「大山」の風景が頭をよぎった。

「何もかも「大山」が見えないせいだ。」


나는 이미 액투성이 때가 엉기엉기 묻은 듯한

그 고무신짝을 만지기도 싫어서 엇비슷이 건너다보며 투덜거렸다.

“어쩌긴 어째요. 놔두세요, 내가 처리할게”

아내는 독오른 표정이 되며

악착같이 해보겠다는 듯이 중얼거렸다.

동시에 초등학교 4학년 적의 그 ‘지까다비’짝과

그 때 그 ‘큰 산’이 구름에 깜북 가려졌던 교교한 산천을 떠올렸다.

“‘큰 산’이 안 보여서 이래, 모두가”



#インタビュー:ソウル大学国語国文学科 パン・ミノ教授

小説に登場する「大山」は暗示的な存在です。遠くからも見える何者にも妨げられない視線、未来への展望、あらゆるものを抱く包容力など、さまざまな意味を持っています。そんな「大山」が雲に隠れてしまったということは、自分を守ってくれるものが消え、将来への希望も失ってしまった1970年代の韓国社会と韓国の人々を表しています。そして、頼れるものが何もない時、人々は捨てられたゴム靴一つにも不安を抱き、不吉に見えるものを自分から遠ざけることができれば、それを他人に押し付けることも厭わないのです。作者は当時の韓国社会を、「大山」も見えず、道しるべもない野原に例えているのです。




作家:李浩哲(イ・ホチョル)(1932.3.15.~2016.9.18.、咸鏡南道元山生まれ)

1950年 北韓から一人で韓国へ

1955年 文芸誌「文学芸術」に短編小説「脱郷」を発表し、文壇にデビュー

1961年 文芸誌「思想界」に短編小説「板門店」を発表

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