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ライフスタイル

氷上連盟(スケート連盟)

2014-02-18

玄海灘に立つ虹

氷上連盟(スケート連盟)
2011年にロシアに帰化したアン・ヒョンス(ビクトル・アン)選手がソチオリンピックのショートトラック1,000メートルで金メダル、1,500メートルで銅メダルを獲得しました。一方、韓国選手たちの成績は不振に終わり、これに関連して文化体育観光部は大韓氷上連盟を調査することを決定しました。
アン・ヒョンス(ビクトル・アン)選手は02年に初めてオリンピック出場(ソルトレイクシティ)を果たし、06年のトリノオリンピックでは金メダル3個、銅メダル1個を獲得。この間の成長を助けたのは、氷上連盟企画部副会長のチョン・ミョンギュ氏でした。チョン氏は、02年当時、国際大会でランキングに名を連ねたことのないアン選手を代表に抜擢し、韓国チームのエースが優勝できるよう他国選手の進路を妨害することを命じました。そして、チョン氏が大会後に韓国体育大学の教授に就任するとアン選手も同大学に入学してチョン氏の指示を仰ぎ、トリノオリンピックまでに韓国のエースに成長しました。
韓国のスケート界には、韓国体育大学で活躍する、もしくは出身とする「韓体大派」と、同大学に縁のない「非韓体大派」に二分されています。アン選手は韓体大派の一員と見なされながら、派閥争いに巻き込まれていきました。しかし、07年に、韓体大大学院に進学するよう勧めるチョン氏の誘いを断って、城南市庁チームに入団。すると今度はチョン氏からの不利益を受けるようになったと、アン選手の父親であるアン・ギウォンさんは語っています。そうしているうちにアン選手の所属する城南市庁チームが解散。韓体大派でも非韓体大派でもなくなったアン選手は行き場失い、活動の場をロシアへ移しました。
このように、韓国のスケート界では、代表選手の選抜をはじめ、指導者の人事などにも派閥が大きく関係しているといわれます。また、八百長問題も度重なっており、韓国政府は氷上連盟の抜本的改革が必要と判断しました。現在オリンピックに出場している選手たちが競技に集中できるようにということで、閉幕してから調査に着手する方針を示しています。しかし、大統領までこの事態に言及している状況なだけに、選手たちの心中も複雑でしょう。

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