ソウル中心部を流れる清渓川(チョンゲチョン)。かつては開川(ケチョン)と呼ばれ、風水に従えば「財宝を運ぶ縁起の良い川」とされたが、ソウルの囲む城壁「漢陽都城」の中に降った雨はすべてこの川に流れ込み、しばしば洪水を起す暴れ川でもあった。
鐘路(チョンノ)のセントロポリスビル地下一階にある公平都市遺跡展示館。16~17世紀当時の街並みは現在の地上から5~6メートル下にあったことを示す地下遺構。鐘路では、こうした地下遺構がいたる所にあり、「朝鮮のポンペイ」とも呼ばれる。
東大門スタジアム跡地の地下から2008年に見つかった「二間水門」(復元)。漢陽都城の中に降った雨を城外に排出する唯一の出口だった。洪水に対応できず、18世紀の大規模改修工事で川は北側150mに移設され、もっと大きな「五間水門」に作り替えられた。
清渓川は、かつてコンクリートの蓋に覆われ、その上を高速道路が走っていた。そのことを物語る橋脚がモニュメントとして残されている。清渓川の歩んだ歴史は、災害と環境保護、産業の発展と都市づくりなど、さまざまな問題を考える材料になっている。