今、ニュースやインターネットで話題になっている人物、前からよく名前は聞いているけれども一体何をしている人物なのかよく分からないという人をマルコメの視線から3つのキーワードでご紹介していくコーナーです。
今日ご紹介するのは、今月16日夜8時30分からKBSの2TVで放送される「KBS大企画‐デビュー30周年特集 タンタラJYP」の主人公、JYPことパク・ジニョンさん(52歳)です。
1. タンタラ パク・ジニョン
パク・ジニョンさんを紹介した2017年の雑誌の記事です。
「以前として人気を維持するダンス歌手、20年以上ヒット曲を発表する作曲家、ファンだけではなく誰からも愛されるアイドルを作るプロデューサー。
パク・ジニョンはこのすべてを実行している。決して簡単なことではない。
第一に厳格な自己管理が必要で、第二に新たなトレンドに耳を傾けなくては不可能なことであり、第三に素晴らしいアーテイストと同僚を探し、かつ安住しないシステムを作らなければならない。確かなことは自分をさらけ出した時に使う役割"タンタラ"として20年以上努力を続け、歌い、踊り、曲を作っているということだ」
「タンタラ」というのは芸能人や芸人を卑しめて呼ぶときに使われた言葉ですが、最近ではむしろエンターテイメントに天賦の才能のある人のことを指すようになりました。まさしく、パク・ジニョンさんはタンタラです。
韓国名門大学の一つ、延世大学在学中に音楽の世界に進もうと決意するものの、最初は数々のオーデイションで落選、歌手キム・ゴンモのバックダンサーを務めていたこともありました。
その後、1994年にソロ歌手として本格的にデビューし、セクシーな衣装やダンスで注目を浴び一躍スターとなります。
当時はテレビに出演する歌手が髪を染めていることも、ピアスをすることも禁止されていた時代でした。そんな中、彼はデビュー曲「날 떠나지마(僕を離れないで) 」をテレビの歌番組で歌った際に全身がビニールの衣装を着て歌って踊りました。下半身は短パンをはいていましたが、上半身は裸で、これが大きな反響を呼んだのです。
ルックス重視の90年代の歌謡界で彼はルックスとは関係なしに、セックシースターのイメージ、現役の大学生だというレッテル、そして理論的なしゃべり方と、自分の外見までジョークにしてしまう余裕が多くの人々を惹きつけました。
また本人の歌「살아있네(Still Alive)」の歌詞でも言及していますが、彼は1990年代には歌手で、2012年から2014年までは音源著作権収入1位を記録する作曲家でした。
そしてLP、カセットテープ、CD、ダウンロード&ストリーミングまで音楽市場の変化を全部経験した歌手でもあるのです。
2.芸能プロダクション代表&名プロデユーサー
1997年にテフン企画株式会社を設立、2001年に現在の社名、JYPエンターテイメントに変わり、パク・ジニョンさんは代表と総括プロデューサーを務めてきました。現在はJYPエンターテイメントの株の15.67%を所有していますが、代表ではありません。
しかし総括プロデューサーとして特に新人の発掘・デビューに関しては最終決断を下すと言われています。
この30年間にJYPエンターテイメントからデビューしたスターは、ピ(RAIN)、god、 ワンダーガールズ、2AM、 2PM、MissA、 GOT7、 TWICE、 Stray Kids、 ITZYなどなど、まさに世界的なスターとなっている人ばかりです。特にガールズグループに関してはワンダーガールズから始まり、 MissA
TWICE 、 ITZY というように売り出すそばからヒットを飛ばして人気を得るということで、 JYPエンターテイメントはガールズグループの名家だと言われてきました。
JYパクの日本のホームページには、こんな紹介記事が出ています。
JYP エンターテイメントは2018年イギリス経済紙「フィナンシャル・タイムズ」選定、「アジア太平洋地域の急成長企業」の中で唯一韓国エンターテインメントとして177位となる。
作詞・作曲・プロデュースした55曲が韓日中の主要音楽チャートの1位を獲得。
Will Smithなど、アメリカのメジャーアーティストと作業した初の韓国ミュージシャン。
そして彼が手掛けたスターたちが、今回の「デビュー30周年特集タンタラJYP」にも出演します。
ただ彼のプロデューサーとしての手腕がすべて成功したわけではありません。ワンダーガールズが国内のチャートで1位を続けていた頃、アメリカの音楽界の流れを把握できないまま無理にアメリカ進出を果たし、結果は大失敗となりました。そして戻ってきた国内市場でもすでにトップの座は少女時代に奪われ、またその後、PSYが「江南スタイル」で見事アメリカ進出を果たすなど、苦汁もなめました。
3.オーディション番組と日本での評価
パク・ジニョンさんは2000年代になると、スターを夢見る若者たちを対象としたテレビのオーデイション番組の審査員としても活躍するようになります。
その際に有名になった言葉として"空気が半分、声が半分"というのがあります。これは彼の歌に対する哲学で、声を出す際には空気も一緒に出すようにということです。
そして韓国国内でのオーデイションだけでなく日本でも同様の番組を行うようになりました。2020年、日韓の音楽業界で大きな話題となったオーディション番組『Nizi Project(虹プロ)』です。この番組で彼は総合プロデューサーを務め、 日本人で構成された9人組女性アイドルグループ「NiziU」を発掘して育てたことで日本でも名を知られるようになります。
その結果、 明治安田生命保険が就職を控えた学生を対象にインターネットで行ったアンケート調査(回答者2980人)では、「理想の上司」だと思う有名人を尋ねる質問で5位を占めました。共同通信は、練習生たちに対して伝えた叱咤激励が視聴者の共感を呼び、彼の指導力が高く評価されたのだろうと伝えました。
日本ではパク・ジニョンさんが発した名言が話題になっています。
例えば「カメラの前で話せない言葉や行動は、カメラのないところでも絶対にしないでください」「自分自身にむちを打ち、歌の練習、ダンスの練習、語学の勉強などをずっと続けていたら、それが積み重なって君たちの夢を叶えてくれるでしょう」
さらに「私は、私がやっていないことを皆さんにやらせない。昨日、一食しか食べていません。なぜ? ダンスが上手くなりたいから」「才能を持つ人だけが、夢を叶えるわけではありません。日々自分を追い込み、日々自分と戦い、勝ち続けることができる人こそが夢を叶えます」などという言葉は実際に自己管理の厳しい、パク・ジニョンさんならではの発言です。
52歳の今でもダンス歌手として現役であるというパク・ジニョンさん。今夜の特集番組が楽しみです。