韓国フーズフーは、今、ニュースやインターネットで話題になっている人物、前からよく名前は聞いているけれども一体何をしている人物なのかよく分からないという人をマルコメの視線から3つのキーワードでご紹介していくコーナーです。
今日ご紹介する人物は、先月25日に亡くなられた女優のキム・スミ(金守美)さん、5歳でした。
1.お母さん俳優
日本のリスナーの皆さんは韓国のお母さん俳優と言うと誰を思い浮かべるでしょうか?
映画「ミナリ」の演技でアカデミー賞に輝いたユン・ヨジョンさん?それともドラマ「冬のソナタ」のお母さん役だったキム・ヘスクさんでしょうか?
韓国人にとってお母さん俳優といわれる女優はたくさんいますが、その一人がキム・スミさんです。
彼女は韓国最長寿テレビドラマ「田園日記」で、「イルヨンの母(オモニ)」を演じました。
「田園日記」は1980年から22年間続いたドラマで、ソウル近郊の農村を背景にした農村ドラマでした。
その中でキム・スミさんは主人公夫婦と同じ村に暮らすお婆さんの役でした。
息子夫婦と暮らす年取ったお母さん、「イルヨン オモニ」です。
このドラマの撮影が始まった時には彼女はまだ29歳。むしろ息子役の俳優の方が年は上でした。
最初は本人も息子役の俳優も、こんな若い女優にお婆さんの役ができるのだろうかと心配したようですが、心配は無用でした。視聴者にも愛され、演技力も認められるようになりました。
キム・スミさんは後にインタビューで、「私は年齢順に生きてきたのではなく、逆に生きてきたじゃないですか。わずか29歳でイルヨンの母親の役をしたので、まともな青春を感じずに生きてきて少し悔しかった」と答えています。
そして田園日記が終わった後も、「イルヨン オモニ」のイメージが強く主に母親役、お婆さん役を演じることが多かったと言えます。
そしてもう一つの彼女の演技の特徴は「욕演技」と言われる、べらんめえ口調やきつい方言演技のうまい女優さんだということでした。
「욕演技」は度を過ぎると見る人に不快感を与えかねませんが、彼女が 映画「家門の栄光シリーズ」などでみせたコミカルで気の強く、それでも愛情あふれたお母さんの姿は多くの人々の共感を呼びました。
2.料理上手
キム・スミさんは自他共に認める料理上手でした。知り合いの俳優や後輩芸能人に手作りのキムチやおかずを贈ることでも知られています。
韓国では女優さんたちもドラマ撮影の合間の食事の際には手作りのおかずを持ち寄り、一緒に食事をしていました。そんなときに彼女の持ってくるおかずは一番の人気で俳優たちはもちろんスタッフにまでふるまっていたといいます。
またドラマ「アンニョン・フランチェスカ」の最終回には食事のシーンが登場しますが、ほとんどバイキング水準のこのシーンの料理とご飯はすべて彼女の手作りだったといいます。
このような姿勢はテレビドラマだけでなく、映画の撮影の際でも同じでした。
また家にはキムチ冷蔵庫が8台あり、キムジャンの際には白菜200個を漬けるといい、彼女の料理のスケールが想像できます。
2000年の初めにはキム・スミの名前のついた「カンジャンケジャン(ワタリガニの醤油漬け)」を発売したこともあり、最近でもテレビショッピングではキムチの販売をしていました。また2018年には彼女が先生を務める料理番組「スミさん家のおかず」が放送されたこともありました。
そして映画やドラマの中で彼女の息子として登場した俳優たち、コメデイアンたちとは本当の親子のように接し、キムチなどのおかずをあげるのはもちろん、結婚し子供が生まれればその名付け親にもなったといいます。このキム・スミさんの芸能界の息子たちは彼女の葬儀の際には涙をこらえてその棺を運んでいました。
3.家族と友人たち
キム・スミさんの故郷は全羅北道・群山ですが、中学生の頃からソウルに留学し、ソウルのスンイ女子中学、高校を卒業します。
高校1年の時に母を、3年生の時に父を亡くします。そのため大学は合格したものの、学費を出してくれる人がおらず入学はあきらめるほかありませんでした。そんな彼女は結婚を考えていた男性の母親から「親もいない、大学も出ていない、芸能人など許しません」と言われてしまいます。
しかし、その後に見合いをした男性の母から「うちの息子があなたのことを本当に好きなようだ。一度家に遊びにいらっしゃい」と言われ、礼儀上仕方なく家を尋ねたところ「早くに両親を亡くして苦労が多かったね」と優しく慰めてもらったことに感動し、結婚しました。
そして結婚後もキム・スミさんはこのシオモニ(姑)のことをとても大切にしていました。
しかし1998年、新しく買った外車が急発進してシオモニが事故死してしまいます。
運転席にいたのは彼女の運転手でしたが、キム・スミさんは事故のショックで2000年代の初めには長い間病気を患い入退院を繰り返していました。その後、気力を回復しまた元気に活動を続けていました。
彼女は一男一女に恵まれ、2019年には息子が結婚し嫁もできました。このお嫁さんに対する彼女の愛情はちょうど姑が彼女に注いだ愛情と同じようです。
お嫁さんが気を使うからと、息子の家には4年間の間にただの3回しか行ったことがないと言います。そして本人が住んでいる家の名義をお嫁さんの名前に変えました。その理由というのが、何かと問題を起こす息子のことを見て、離婚してもお嫁さんが困らないようにという配慮からだそうです。
最後に同じ田園日記の出演者で現在は文化体育部の長官をしているユ・インチョン長官からのお悔やみのメッセージをご紹介しましょう。
「誰よりも深い印象を残した俳優でした。華やかな俳優というよりは、温かい人間らしさとユーモアで、家族のように親しみやすい方だったため、その悲しみがより一層大きく、家族を失ったような悲しみです」
ご冥福を祈ります。