本日は、ハン・ガンの『菜食主義者』をご紹介します。本来は映画の週ですが、先月、ハン・ガンさんがノーベル文学賞を受賞されたので、今月は特別、2回にわたってハン・ガンの代表作をご紹介しようと思います。以前このコーナーで『少年が来る』をご紹介しているので、今日は『菜食主義者』からいきたいと思います。世界的に権威のあるブッカー賞をアジア人では初めて受賞して作家ハン・ガンが世界に知られるきっかけとなりましたが、実は日本ではブッカー賞よりだいぶ前に日本語版が出ていました。私もブッカー賞より前に日本語版で読んでいて、今回は改めて韓国語でも読んでみました。
『菜食主義者』が韓国で出たのは、2007年。けっこう前なんですね。日本では2011年に翻訳出版されて、2016年ブッカー賞受賞。これはちょっと強調しておきたいですが、韓国文学ブームを作ったとも言えるクオンという出版社が「新しい韓国の文学」シリーズ第一冊目で『菜食主義者』を翻訳出版しました。ノーベル賞受賞時点でクオンからハン・ガンの本が4冊出ていて、これは金虹にも出演されたクオンの金承福社長の見る目があったとしか言いようがない。金社長は私も個人的に親しいんですが、よく「ハン・ガンは韓国文学のBTS」と言っていました。
そしてもう一つお話しておくと、私が金社長と出会ったのは2013年の東京国際ブックフェアで、ここにハン・ガンさんが来られていて、登壇してお話しされたのを私も聞いてその後簡単にインタビューしたのも覚えています。今思えばもっとがっつりやっておけば良かったのですが(笑)
ⓒ Getty Images Bank『菜食主義者』というタイトルは健康的な響きですが、中身はちょっと違う。ごく平凡な主婦だったはずのヨンへがある日突然肉食を拒むという話なのですが、健康志向でというわけではなく、「夢を見た」からということで、夫は全然理解できないのですが、ヨンへはどんどん痩せていく。ヨンへの親はヨンへに何とかお肉や魚介類を食べさせようと試みるけどもヨンへは頑なに拒む。そんな様子をヨンへの夫の視点で描いています。三つのチャプターに分かれていて、それぞれヨンへの周辺人物の視点で描かれ、最初の章はヨンへの夫の視点です。ハン・ガンの小説には「暴力性」がよく出てきますが、ヨンへの父はベトナム戦争に参戦したことを誇りに思っているような人で、ヨンへも体罰を受けて育った。頑なに菜食を貫こうとするヨンへに父は激怒し、暴力を振るいます。ヨンへは自己主張をあまりしない女性だったので、夫も父も戸惑います。肉食の拒否が暴力性の拒否と重なっているように感じられました。読みながら、『82年生まれ、キム・ジヨン』を思い出しました。平凡な女性も、実はそう見えただけで、黙って我慢していたのでは、と。夫の視点で書かれていますが、夫のヨンへに対する愛情というのは感じられず、ただ平凡な女性というのが、波風立てずに人生を送りたい自分にとってのいい妻だった、そうでなくなった妻とはもう一緒にいる理由がないと考えるような男性でした。
第二章はヨンへの姉の夫の視点で描かれ、時間の流れでいうと第一章から2年経って、ヨンへと夫の間では離婚の話が進んでいます。タイトルは「蒙古斑」。あの、お尻の青い蒙古斑で、ヨンへの姉の夫は、ヨンへのお尻に蒙古斑があるという話を聞いて、ヨンへに性欲と芸術的インスピレーションを感じます。というのは、ヨンへの姉の夫は芸術家、ビデオアートの作家なんですね。裸のヨンへをモデルに作品を作ろうとします。ヨンへは菜食主義者になると同時に、服を脱ぎたがるようになり、モデルとして裸になることに対する抵抗はあまりないんですね。なんで裸になりたがるか、というのが、この小説の核心に迫る部分なので、これから読む方々のために黙っておこうと思います。
そして最後の第三章は、ヨンへの姉の視点で描かれています。第二章での出来事の後の話です。自分の妹と自分の夫の間で起きた出来事を目撃してしまった、その後の話です。
〇いろんな解釈のできる小説で、だからこそノーベル文学賞に選ばれたんだと思いますが、私は一種のフェミニズム文学だなと思いました。ヨンへの夢の話が何度も出てきますが、基本的には幼い頃から受けた父の暴力が根っこにあるように感じました。
ただ、それも一言で言いきれないのは、第二章は男性による欲求の対象としてのヨンへとして描かれず、ヨンへも喜びを感じている。実は血のつながった家族よりもずっとヨンへと通じ合っているのが、このヨンへの姉の夫でした。複雑に感じられるかもしれないですが、読んで「難しい」ということはなくて、私はハン・ガンの作品は、読んで理解するというよりも、読んで感じる作品という気がしています。あらすじを知ってどうというものでなく、実際に読んでこそ味わえる作品だと思うので、ぜひ読んでみてほしいと思います。