〇本日は、前回に引き続きハン・ガンの作品で、小説『別れを告げない』をご紹介します。これは韓国では2021年に出版されて、韓国人として初のメディシス賞も受賞して話題になっていたので読みたいなと思いつつ、済州4・3事件に絡む話と聞いて、ちょっと躊躇していました。というのは、以前このコーナーで紹介した『少年が来る』が1980年の光州事件にまつわる内容だったんですが、読んでいてとってもつらかったので、『別れを告げない』は覚悟して読まないとと思っていました。ただ、読んでみると、この2冊はセットになっているというか、事件の時系列でいえば『別れを告げない』の済州4・3事件が先に起こっていますが、本を読む順番としては出版された順に『少年が来る』をまず読んで、『別れを告げない』を読んだらしっくりくると思います。というのは、『別れを告げない』の冒頭の話が、『少年が来る』を書いたハン・ガンさん自身の話と重なっているんですね。タイトルが出てくるわけではないけども、虐殺に関する小説を執筆しながら悪夢を見るようになったという話で始まります。
〇まず、光州事件については日本でもある程度知られていると思いますが、済州4・3事件についてはあまり知らないという方も多いと思うので簡単に説明すると、1948年4月3日に起きた済州島の島民の蜂起をきっかけに、軍や警察が鎮圧の過程で多くの島民を虐殺した事件です。1948年というのは南に大韓民国、北に朝鮮民主主義人民共和国が樹立した時期で、混乱期でした。私は個人的にこの事件の関連の映画も本もけっこう見たり読んだりして知っている方なのですが、だからこそ『別れを告げない』は読みたいけど読むのが怖いと思っていました。
〇『菜食主義者』と『別れを告げない』の共通点は夢の話が出てくるという点です。小説家のキョンハは、ドキュメンタリー映画を撮っている友人のインソンに自分がよく見る悪夢の話をして、2人の間でそれを映像化しようという話になります。キョンハもインソンも女性です。それが実現しないまま歳月が過ぎて、ある時、インソンからキョンハに突然連絡が来ます。インソンは済州島に住んでいるんですが、けがをしてソウルの病院に入院し、自分の代わりに済州で飼っている鳥のオウムの世話をしてほしいとキョンハにお願いします。
キョンハが済州に到着した日はひどい吹雪だったんですが、私も一度冬に済州に行った時に吹雪だったことがあって、済州は温かいイメージだったので意外でした。キョンハがインソンの家にたどり着くまでがとにかく長くて、間に回想とかいろいろ入ってはくるんですが、吹雪の中ほとんど死にそうになりながらインソンの家にたどり着くまでがページ数でいって全体の半分近く。私は繰り返し雪の描写が出てくるのが「魂」あるいは「死」の象徴のように感じました。
ⓒ Getty Images Bank〇済州4・3事件にまつわる小説と聞いて読み始めたので、半分近くまでほとんど済州4・3事件について出てこないのに戸惑いつつ、ホッとしつつ、キョンハがインソンの家に着いてから、だんだん出てきます。それは主にインソンの両親の済州4・3事件の経験です。
第二章は夢と現実の間のような世界です。というのも、ソウルの病院にいるはずのインソンが済州のインソンの家に来てキョンハと対話するんですね。それだけでなく、死んだはずの鳥も生き返ります。この本のタイトルの『別れを告げない』に通じる部分ですが、死が別れではない、と感じられました。これはまた済州4・3事件はまだ終わっていない、というふうにも受け取れると思います。この事件について政府の真相究明や公式の謝罪はあったけども、まだきちんと弔われていない犠牲者もいて、それを小説という形で弔ったように感じました。
ハン・ガンの作品は詩的だと言われていますが、詩集も出していますし、そもそも1993年の文壇デビューは、詩でデビューしているんですね。表現は繊細でありながら、内容は光州事件や済州4・3事件のような韓国の現代史を素材にしていて、そういう点で高く評価されたんだろうと思います。
〇『別れを告げない』は、日本では2024年に斎藤真理子さんの訳で出版されているので、ぜひ読んでほしいと思います。私は韓国語で読んで、済州の方言でちょっと理解できない部分もあったので、改めて日本語版も読もうと思っています。あと、済州4・3事件に関するヤン ヨンヒ監督のドキュメンタリー映画『スープとイデオロギー』も見ると、より理解が深まると思います。
