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映画監督のポン・ジュノさん 

#韓国WHO‘SWHO l 2025-02-17

玄海灘に立つ虹

映画監督のポン・ジュノさん 
韓国フーズフーは、今、ニュースやインターネットで話題になっている人物、前からよく名前は聞いているけれども一体何をしている人物なのかよく分からないという人をマルコメの視線から3つのキーワードでご紹介していくコーナーです

今日ご紹介するのは映画監督、ポン・ジュノ監督55歳です。

1.「パラサイトー半地下の家族」と「ミッキー17
ポン・ジュノ監督は「パラサイト・半地下の家族」の監督です、という紹介が一番、分かりやすい紹介ではないでしょうか。

「パラサイト・半地下の家族」は2019年に発表された作品で、現代韓国の貧困層と富裕層の格差問題を取り上げていました。
第92回アカデミー賞では作品賞、監督賞、脚本賞、国際長編映画賞を受賞しました。アカデミー賞を受賞した監督と言われる理由です。
またこの映画はアカデミー賞だけではなく、第72回カンヌ国際映画祭でも審査員の満場一致で最高賞であるパルム・ドールを受賞しました。
観客動員でも韓国での1000万人突破以外にも、フランスで170万人、イギリスでは外国語映画の興行収入歴代1位となり、日本でも韓国映画の興行収入歴代1位となりました。

「パラサイト・半地下の家族」から6年たった今年、公開されるボン・ジュノ監督の新作映画がアメリカ映画の「ミッキー17」です。

 エドワード・アシュトンによる2022年の小説『ミッキー7』を原作としたブラックユーモアたっぷりのSFスリラー映画です。
主演はハリーポッタ―シリーズやバットマンに出演したロバート・パティンソンです。
そしてこの映画。全世界で一番最初に韓国で2月28日に封切られます。
その後、アメリカで3月7日に、日本でも3月28日に公開される予定です。そのため現在韓国では主演のロバート・パティンソンもやってきて、広報に努めています。

2.「吠える犬は噛まない」から「グエムル~漢江の怪物」へと
ポン・ジュノ監督はこれまでに今回のミッキー17まで、合計8本の劇場用長編映画を監督しています。そのリストを見ると、監督の世界が分かる気がします。

3本の短編映画を経て、長編映画の監督としてのデビュー作は2000年の「吠える犬は噛まない(原題はフランダースの犬)でした。ペ・ドゥナが主演で団地内の飼い犬が次々と失踪する事件が描かれていました。この映画でミュンヘン国際映画祭の新人監督賞、香港国際映画祭国際映画批評家賞を受賞するなど、デビュー作でその才能は国際的に認められました。

その後も2003年の「殺人の追憶」、2006年の「グエムル~漢江の怪物」、2009年「母なる証明」、2013年「スノーピアサー」、2017年「オクジャ」、そして2019年の「パラサイト・半地下の家族」まで、手がけた映画はすべてヒット作、話題作となり数々の賞を受賞してきました。

韓国内での観客動員数では「グエムル~漢江の怪物」の1300万人が一番多く、次が「パラサイト・半地下の家族」の1031万人でした。

またポン・ジュノ監督の特徴として、この8本の長編映画は今回のミッキー17まで、すべて脚本にも参加しています。監督のオリジナル脚本の作品が多いというのも、その才能の表れでしょう。

そしてその才能は日本でもよく知られているようで、日本ではこんな本まで出ていました。「マンガでわかるポン・ジュノ 鬼才の半生と映画づくりの裏舞台」。日本の飛鳥新社から出ているこの本にはこんな紹介文が出ていました。
「アジアの鬼才、ポン・ジュノ。マンガ家を夢見ていた少年時代から、挫折を味わったデビュー作、起死回生の第2作、世界に飛び出した第3作……そして世界を制した『パラサイト』まで」

また最近では劇場版「孤独のグルメ」の主演と監督を務めた松重豊さんが、この映画を撮る際に「どういう監督にお願いしたらいいのかなと考え、かつて『シェイキング東京』という作品でご一緒したボン・ジュノ監督に手紙を書きました。残念ながらスケジュールの都合でNGでしたが、「完成を楽しみにしているとお返事がありました」と語り、ポン・ジュノ監督との付き合いを語っています。

3.386世代
韓国における特定の世代を指す用語の386。広義的には1990年代に30代(3)で、1980年代(8)の民主化運動に関わった、1960年代(6)生まれの者を指しています。

このように今や世界的な巨匠となったポン・ジュノ監督。
子供の頃の逸話としてこんな話があります。

1969年生まれのポン・ジュノ監督、その子供時代だった1970~-80年代は漫画本を読んでいると親から怒られるようなそんな時代でした。
しかしボン監督の家は、家族そろって漫画を読むようなそんな雰囲気の家庭だったと言います。

また映画監督になりたいという息子に対して、両親は「やりたいことがあるのなら、何でもしてみなさい」と激励してくれたと言います。
ちなみに12歳の頃から、映画監督が将来の夢だったということです。ボン監督の父は大学教授兼グラフィックデザイナー、そして母方の祖父は有名な小説家でもあります。
 
韓国では知識人というのは社会で何か大きな出来事が起きた際に先頭に立って意見を主張してきました。ポン・ジュノ監督も代表的な知識人です。
今回のユン・ソンニョル大統領の非常戒厳宣言と関連した弾劾審判でも弾劾支持をいち早く表明した文化人(歌手、俳優、作家、脚本家、映画監督など)の中にボン・ジュノ監督の名前がありました。

新聞とのインタビューでも「SF映画よりも超現実的」
「私は小学校4~5学年の時が1970~80年、映画『ソウルの春』に出てきたその時期だった」「おぼろげではあるが戒厳令に関する記憶がある」「その後40年あまりの歳月が流れたが、自分の生涯でそれにもう一度遭遇するだろうとは想像もできなかった」と述べています。

積極的に政治的な発言もする点から、イ・ミョンバク大統領やパク・グネ大統領の時代には文化人ブラックリストに載せられていたという話も伝わっています。

まさに386世代の代表的な人物だと韓国では見られています。
そして、だからこそ、あのような独創的で面白い作品を作り出せるのではないでしょうか。

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