第19話 映画「全知的な読者の視点から」
2025-08-06
今、ニュースやインターネットで話題になっている人物、前からよく名前は聞いているけれども一体何をしている人物なのかよく分からないという人をマルコメの視線から3つのキーワードでご紹介していくコーナーです。
今日は、先月29日に71歳で亡くなられた登山家・冒険家のホ・ヨンホ(許永浩)さんについてご紹介します。
ホ・ヨンホさんは韓国を代表する登山家・冒険家です。
1954年、忠清北道・堤川(チェチョン)生まれ。最初は趣味で山登りをしていましたが、実力がつき、1974年(20歳)には韓国山岳会のヒマラヤ遠征隊・訓練隊員に選ばれます。
その後、1982年5月20日にヒマラヤ山脈のマカルー山(標高8,463m)登頂に成功。当時無名の登山家だった彼が、世界第5位の高峰に登ったニュースは人々を驚かせました。
翌1983年10月には、同じヒマラヤ山脈のマナスル山(標高8,163m)に無酸素・単独で登頂。この山は韓国の登山界では“死の山”と恐れられ、数十人が命を落としていました。酸素吸入器なしでの単独登頂は衝撃でした。
この成功を機に、アルプスやヒマラヤの山々に挑み、1987年にはついにエベレスト(標高8,848m)の真冬登頂に成功。12月22日、氷点下数十度の極寒、酸素不足と闘いながらの快挙でした。
彼は当時の心境を「目を閉じて歩いても頂上はそこにあった。恐怖よりも惹かれるものの方が大きかった」と語っています。こうして彼は“限界を突き破る男”として知られるようになりました。
その後、ホ・ヨンホさんは北極点・南極点、そして7大陸最高峰への挑戦を開始。
1990年と1991年には徒歩で北極点を目指しましたが、初挑戦は流氷で失敗。
しかし1992年に南米最高峰アコンカグア山、北米マッキンリー山、アフリカ最高峰キリマンジャロ山の登頂に成功。1994年にはオセアニア最高峰プンチャック・ジャヤ山、1995年にはヨーロッパ最高峰エルブルス山を登頂しました。
さらに1994年1月10日、徒歩で南極点到達。1995年には凍結した北極海(約1,800km)を徒歩で横断し、北極点にも到達。
同年12月12日には南極大陸最高峰ヴィンソン・マシフ山を登頂し、地球の3極点(南極点・北極点・エベレスト頂上)と7大陸最高峰をすべて制覇した世界初の冒険家となりました。
過酷な挑戦の中で命の危機もありました。
1989年、エベレスト南壁・ローツェルート挑戦中、約50m墜落し重傷を負い、3日間雪中で救助を待った経験も。その時について彼はこう語っています。
「初めて死を受け入れました。死は思っていたより静かでした。しかし生きることは激しく抗うことです。」
7大陸最高峰を制した後、彼は空へ挑みます。1998年に超軽量飛行機(日本でいう“超軽量動力機”)の操縦免許を取得。2007年には済州島接近中に海へ不時着し救助される事故もありましたが、翌年には驪州(ヨジュ)‐済州間(約1,000km)の単独飛行に成功。2011年には仁川‐独島‐済州・加耆島‐堤川を結ぶ約1,800kmの単独飛行も成し遂げました。
「空を飛ぶのは、もう一つ別の高度で自分を試すことでした。空は山より怖かった」と彼は語っています。
2017年、63歳で5度目のエベレスト登頂に成功。「体力よりも冷静さが大事だった」と振り返り、若い頃とは異なる戦略的な登頂で頂に立ちました。
2020年代には後進の育成、講演、著書執筆などに力を注ぎ、「山は目標ではなく、鏡だ」との哲学を伝えました。晩年まで「また北極点に行きたい」と語っていたそうです。
遠征隊長としての彼は、隊員の遭難・死亡・重大事故・凍傷ゼロという驚異的な記録を誇りました。
そして人生最後の挑戦は、8ヵ月にわたる胆道がんとの闘いでした。
ホ・ヨンホ(許永浩)さんのご冥福を心よりお祈りします。
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