第20話 NHKドラマ「虎に翼」の安藤大佑ディレクター
2025-08-13
今、ニュースやインターネットで話題になっている人物、前からよく名前は聞いているけれども一体何をしている人物なのかよく分からないという人をマルコメの視線から3つのキーワードでご紹介していくコーナーです。
今日は、李在明(イ・ジェミョン)大統領から7月3日に首相に任命された金民錫(キム・ミンソク)国務総理(61歳)をご紹介します。
最近の韓国政界は、意外な人物が政治の表舞台に登場することが増えています。大統領選挙で保守系候補となった金文洙(キム・ムンス)氏もそうですが、金民錫氏も政治家として約20年にわたり浪人してきた人物。いつ李大統領と親しくなったのか、不思議に思われました。
答えは「非常戒厳を予測した」ことでした。
昨年12月の尹前大統領による非常戒厳宣言。その4か月前の2024年8月、金民錫氏は金容鉉(キム・ヨンヒョン)氏が国防部長官に抜擢されたのを見て「非常戒厳が来る」と予測したと言います。
当時は現実味のない発言だとして「共に民主党」内部でも半信半疑。与党はもちろん、メディアや評論家、野党支持層からも「軍事知識の欠如」「怪談に過ぎない」と批判されました。
しかし予測は現実となり、一気に注目を浴び、この功績で政治家としての地位を回復しました。
金民錫氏は1996年に初めて国会議員に当選。2000年には将来の大統領候補と目されましたが、その後約20年間、国会議員選挙で落選が続き、2020年にようやく国会に復帰。
李大統領が初めて大統領選に挑戦した2022年には選挙対策委員会の主要メンバーとして密接な関係を築き、2025年大統領選では常任共同選挙対策委員長を務め中心的役割を果たしました。
李大統領は就任直後の6月4日に金民錫氏を国務総理に指名し、その信頼の深さを示しました。
李大統領と金民錫氏は同じ「386世代」ですが、民主化運動での活動内容は異なります。金民錫氏はその世代でも“スター”でした。
*386世代は韓国の社会・政治用語で、もともとは1990年代に生まれた表現です。
名前の由来は、当時の彼らが持つ「3・8・6」という数字から来ています。
3:30代(1990年代当時の年齢)
8:1980年代に大学生だった世代(民主化運動の中心世代)
6:1960年代生まれ
つまり、1960年代生まれで、1980年代に大学で学生運動や民主化運動を経験し、1990年代には30代で社会の中核に入り始めた世代を指します。
全斗煥政権時代の1985年、ソウル大学社会学部在学中、総学生会長・全国学生総連合議長として民主化運動を率い、ソウルのアメリカ文化院占拠籠城事件を主導したとして拘束され、懲役5年6か月の実刑判決を受けます。
3年服役後、1988年に恩赦で釈放。その後、金大中(キム・デジュン)大統領の側近として活動し、1996年に32歳で国会議員に初当選しました。
1993年にはソウル大学同窓でKBSアナウンサーの金慈英(キム・ジャヨン)氏と結婚。当時「運動圏と既存社会の結合」「韓国のケネディ夫妻」と呼ばれ、華やかな学歴とキャリアが注目を集めました。
金民錫氏はアメリカのハーバード大学ケネディ・スクールに、金慈英氏もハーバード大学・ボストン大学大学院に留学。結婚後、夫婦で渡米し留学生活を送り、帰国後はそれぞれ政治家・アナウンサーとして活躍しました。
1男1女をもうけましたが、2015年に離婚。金民錫氏はキリスト教徒としても知られ、2019年に同じ教会に通う女性と再婚しています。
就任後の発言も注目されています。
任命状授与後の歓談で、李大統領は「国務総理の働き方次第で国の運命が変わる」「閣僚未任命の状況でも次官らと緊急業務にあたってほしい」と要請。これに金総理は「『明け方国務総理』となって国政運営の体感速度を上げる」と応じました。
7月14日の金大中賞授賞式では、「非常戒厳の時、金大中元大統領のことが頭に浮かんだ。今、金大中の道は李在明の道になった」と発言。「自分はDJ=金元大統領の下で政治を学んだ。金大統領が理念を超えて実用で国を救ったように、新しい大統領も国民が主人の国を作る」と述べました。
7月16日の大韓商工会議所・夏季フォーラムでは、「わが国で最も不足しているのは『帝国的思考』。アメリカを第51州と批判するのではなく、アメリカを韓国の第14自治体と見るべきだ」と発言し、思考の転換を求めました。
李大統領も金民錫総理も「実務型・実用型」の政策を掲げています。課題山積の2025年、両氏の手腕が試されています。
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