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ピープル

世界が注目する韓国映画の旗手 映画監督のパク・チャヌクさん 

#韓国WHO‘SWHO l 2025-09-01

玄海灘に立つ虹

世界が注目する韓国映画の旗手 映画監督のパク・チャヌクさん 
今、ニュースやインターネットで話題になっている人物、前からよく名前は聞いているけれども一体何をしている人物なのかよく分からないという人をマルコメの視線から3つのキーワードでご紹介していくコーナーです。  

今日ご紹介するのは、映画監督の朴贊郁(パク・チャヌク)さん、62歳です。朴監督は3年ぶりの新作映画『No Other Choice(仕方がない)』が9月に韓国で公開される予定ですが、すでに先月27日に開幕した第82回ヴェネツィア国際映画祭のコンペティション部門に招待されるなど話題になっています。韓国映画がコンペ部門に招待されたのは13年ぶりのこと、朴監督としては『親切なクムジャさん』以来20年ぶりの快挙です。


ヒッチコック

朴監督はソウル生まれ。朝鮮時代後期から続く名門、潘南・朴氏の家に生まれ、代々ソウルの鍾路に居住してきた生粋のソウルっ子です。

父は建築家で大学教授、祖父も日本統治時代に検事や判事を歴任しました。妻は大学時代に知り合い、外資系銀行勤務経験があり、朴監督は映画『JSA』で成功するまで妻のおかげで家計を維持できたと語っています。娘とのエピソードも多く、家庭人としての一面も知られています。
学生時代は美術史学者を志望して西江(ソガン)大学・哲学科に進学。写真クラブに所属しつつ映画サークルを結成し、大学図書館で映画書籍を読み漁りました。転機は大学時代、上映会で見たヒッチコックの『めまい』です。映像の持つ力に衝撃を受け、映画監督を志すことを決意しました。哲学の学びとヒッチコック作品体験は、後の「倫理」「人間存在の矛盾」「倒錯と欲望」といった彼の作品の主題形成に影響しました。


デビュー作

大学卒業後は助監督や映画評論家として活動。1983年に評論家としてデビューし、9年間活動しました。
監督デビュー作は1992年の『月は…太陽が見る夢』ですが、興行的に失敗しほとんど注目されませんでした。
転機となったのは2000年の『JSA(共同警備区域)』です。南北兵士の交流と悲劇を描いたこの作品は、政治性とヒューマニズムのバランスに成功し大ヒットとなりました。
その後2003年の『オールドボーイ』でカンヌ映画祭グランプリを受賞、独自の映画世界が開花。
『親切なクムジャさん』『お嬢さん』『別れる決心』と国際的にも評価される作品を次々に発表しました。


社会発言

朴監督は社会的発言でも知られています。
1980年代、全斗煥(チョン・ドゥファン)政権下で学生生活を送った386世代であることが背景にあります。1990年代は映画評論を通じて映画文化への批評的視点を発表。
2000年代には『JSA』を通じ南北分断問題を取り上げ、社会に強いメッセージを発しました。
2005年頃には復讐映画を撮る理由として「復讐は無意味だが、それを生む社会の病を直視したい」と発言。2010年代には『お嬢さん』の公開時に「女優という呼び方は時代遅れ」と述べ、フェミニストとしてジェンダー平等を訴えました。
近年では戒厳令問題に抗議する映画人声明に署名し、デモ支援の行動も行いました。今年の百想芸術大賞では「臆病で無能なリーダーではなく、国民を恐れる人物を選ばねばならない」とスピーチ。映画以外でもニュースに登場する存在です。

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