第31話 チャン・リュル監督の映画『慶州 ヒョンとユニ』
2025-10-29
韓国では陸上競技はあまり注目を浴びません。ましてフィールド競技は「不毛の地」と呼ばれてきました。そんな中、東京オリンピックで彗星のように現れたのが、禹相赫選手です。
2021年の東京オリンピックで、禹選手は男子走り高跳びで2メートル35を跳び、韓国新記録を樹立し4位に入賞しました。韓国陸上史上初めて走り高跳びで決勝進出を果たし、メダルまであと一歩という歴史的な成績でした。
この大会をきっかけに彼は「国民ジャンパー」と呼ばれるようになり、CM出演やテレビ番組にも多数登場。翌2022年には世界室内陸上競技選手権大会で金メダルを獲得し、世界的にも注目を集めました。
また、東京オリンピックで彼が特に話題になったのは、最後の試技を終えた直後、スタジアムの観客席に向かって力強く敬礼をした場面です。
この敬礼には「国を代表する誇り」「挑戦を終えた自分への敬意」「応援してくれた人々への感謝」という三つの意味が込められていました。
その姿に韓国中が感動し、彼は「国民に堂々と敬礼したかった。メダルは逃したけれど、すべてを出し切りました」と語りました。
交通事故
今回、東京世界陸上競技選手権大会で銀メダルを獲得した後、李在明(イ・ジェミョン)大統領は「大韓民国陸上の新しい歴史を築いた禹相赫選手を誇りに思う」とたたえ、「交通事故の後遺症を克服した不屈の意志が世界に勇気と希望を与えた」と激励しました。
禹選手の人生には、これまでに何度も交通事故がありました。
1996年、忠清北道・鎭川(チュンチョンブクド・ジンチョン)で生まれた彼は、8歳の時に交通事故に遭い、右足を負傷。左足より1.5センチ短くなりました。
それでも中学で陸上を始め、高校では全国大会上位に入賞。将来は代表選手を夢見るようになります。
世宗大学・体育学科に進学し、本格的に陸上に専念しましたが、2017年に再び交通事故に遭い、腰と膝を大きく損傷。「もう跳べないかもしれない」と言われるほどの重傷でした。精神的にも打撃を受け、自暴自棄になった時期もありました。
それでもコーチの「お前は世界的な選手になれる」という言葉に励まされ、1年のリハビリを経て復帰します。禹選手は「もしあの事故がなかったら、今の楽しむジャンパーの自分はいなかった。あの痛みが自分を強くしてくれた」と振り返ります。
彼にとって交通事故は、キャリアを奪った出来事ではなく、人生を見つめ直す転機となったのです。
スマイル
そして生まれたのが、あのスマイルです。
試合のたびに笑顔で観客に拍手を求め、楽しそうに競技する姿、それは単なる明るい性格ではなく、彼の哲学そのものです。
禹選手は「以前は失敗を恐れていたが、事故を経験して“跳べること自体が幸せ”だと気づいた」と語っています。リハビリの期間に「結果よりも楽しむこと」を自分に課し、「もう怖くない。楽しんで跳ぶ、それが僕の生き方だ」と笑顔で話しました。
東京オリンピックでは助走前に観客とアイコンタクトをとり、失敗してもにっこり笑う姿が印象的でした。
彼は「笑っていれば体も軽くなるし、跳ぶことが楽しくなる。緊張もミスも、笑顔で受け止めれば怖くない」と言います。
また、他の選手が成功した時に見せるスマイルについて「誰かが跳べたら僕も嬉しい。それが人として自然なこと」と語ります。
最初は“作り笑い”のように見えたかもしれません。しかしその笑顔の背景にある人生観を知ると、誰もが彼のスマイルに秘められた強さと優しさを感じるでしょう。
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