メニューへ 本文へ
Go Top

ピープル

映画一筋を貫いた善き人 アン・ソンギさん

#韓国WHO‘SWHO l 2026-01-19

玄海灘に立つ虹

映画一筋を貫いた善き人  アン・ソンギさん
今、ニュースやインターネットで話題になっている人物、前からよく名前は聞いているけれども一体何をしている人物なのかよく分からないという人をマルコメの視線から3つのキーワードでご紹介していくコーナーです。 

韓国映画界の良心、国民俳優として親しまれてきた 安聖基(アン・ソンギ) さんが、75歳でこの世を去りました。
血液のがんを患っていると伝えられていましたが、回復したという話もあり、その死はあまりにも突然でした。

映画一筋

安聖基さんは5歳で子役俳優としてデビューし、亡くなるまで一貫して「映画俳優」として生きた人物でした。
俳優人生はおよそ69年、出演した映画は170本以上にのぼります。

父親が映画プロデューサーだった縁で、5歳の時に 金綺泳(キム・ギヨン) 監督の『黄昏列車』で映画デビュー。
7歳で出演した『十代の反抗』では、サンフランシスコ国際映画祭で子役俳優に贈られるゴールデン特別賞を受賞し、早くからその才能を示しました。

中学時代の同級生には、後に国民的歌手となるチョ・ヨンピル がいます。
高校時代に学業専念のため一度俳優を離れ、浪人を経て韓国外国語大学ベトナム語科へ進学。当時はベトナム戦争の最中で、将校として赴任する道も考えていましたが、在学中に戦争は終結します。

大学卒業後、父の勧めで映画界に復帰。以降の歩みは、まさに韓国映画の歴史と重なっていきます。

■ 映画一筋の人生

1980年代、安聖基さんは韓国ニューシネマを代表する俳優として頭角を現します。
1980年『風吹く良き日』で大鐘賞最優秀新人賞、1981年にはイム・グォンテク監督の『曼荼羅』で修業僧を演じ、男優賞を受賞しました。

1984年の『鯨とり』、1985年の『ディープ・ブルー・ナイト』はいずれも大ヒットとなり、名実ともに演技派俳優としての評価を確立します。

1990年代以降は、知識人や中年男性、孤独を抱える人物像などを通じて観客の共感を集めました。
『ホワイトバッジ』『ツー・コップス』『太白山脈』『永遠なる帝国』など代表作が続き、1996年には日本映画『眠る男』にも出演します。

2003年の『シルミド』は観客動員1000万人を超える大ヒットとなり、「国民俳優」としての地位を決定づけました。
青龍映画祭、百想芸術大賞、大鐘賞の主演男優賞をすべて受賞するトリプルクラウンを達成し、その受賞数はいずれも歴代最多クラスです。

善き人

安聖基さんは、テレビドラマや舞台にはほとんど出演しませんでした。
その理由について、彼はこう語っています。

「映画は、感情を誇張しすぎずに表現できるメディアだ。
沈黙や“間”を最も正確に記録できるのが映画だと思う。」
“語らない演技”を大切にする姿勢は、彼の人柄そのものでもありました。
KBSやEBSのドキュメンタリーでのナレーション、釜山国際映画祭での長年の活動など、表に出ないところでも韓国映画界を支え続けました。

葬儀には映画界のみならず各界から多くの人が参列しました。
中学時代の同級生だった趙容弼さんは、全国ツアーを控える中でも駆けつけ、出棺の日のコンサートでは安聖基さんが好んでいた『釜山港に帰れ』を歌いました。

明洞聖堂で行われた告別式では、長男の安ダビンさんが33年前に父から受け取った手紙を朗読しました。
その最後の一文は、こう結ばれていました。
「この世で最も必要なのは、善き人だ」

その言葉通り、安聖基さんは生涯を通じて「善き人」であり続けた俳優でした。
心よりご冥福をお祈りします。

おすすめのコンテンツ

Close

当サイトは、より良いサービスを提供するためにクッキー(cookie)やその他の技術を使用しています。当サイトの使用を継続した場合、利用者はこのポリシーに同意したものとみなします。 詳しく見る >