映画「1987」が公開され、ソウル市龍山区にあった「南営洞対共分室」を、民間が運営する人権記念館にしてほしいとの声が相次いでいます。
韓国では1948年に警察庁の所属機関として国家保安法違反、間諜行為などを取り締まるための保安分室が設けられました。それが、第三共和国から第五共和国時代(1963~88年)に民主化運動家や反政府勢力の取り締まりの目的が加わって対共分室と呼ばれるようになり、1976年、龍山区南営洞に専門部署のための施設として5階建ての建物が建てられました。ここが南営洞対共分室です。当時は国家権力による人権侵害が行われており、対共分室のある「南営洞」、中央情報部のある「南山」、国軍保安司令部のある「西氷庫」に連行されると無事には戻れないと恐れられていたと言われます。
映画「1987」は、87年1月に南営洞対共分室での拷問によりソウル大生の朴鍾哲さんが死亡してから、同年6月に民主抗争が起こるまでの過程が描かれています。朴さんは同分室で水攻めなどによる拷問により死亡したにもかかわらず、当初警察は「机をたたいたら“あっ”と言って死亡したショック死である」と発表していました。しかし、死亡後に立ち会った医師の証言や、キリスト教社会運動団体の神父の証言(拷問にかかわった警察官が服役していた刑務所の刑務官が民主化運動家に拷問死事件の真相を伝え、それを受けて神父が発表)などから事実が明るみに出たことで民衆の怒りが爆発。同年6月10日に、大統領の直接選挙制を求める民衆大会が開催されました。また、大会の前日には延世大学の学生が、戦闘警察の催涙弾に当たって重体(1カ月後に死亡)となる事件もあり、民衆デモは全国に拡大。翌年にソウルオリンピックが控えていたこともあり、当時の全斗煥大統領は、大統領の直接選挙制と金大中氏の釈放を承諾。これにより民主化への道が開かれました。
対共分室のあった建物は2005年まで保安分室として使用され、現在は警察庁人権センターとなり、一部が一般公開されています。しかし、専門のガイドや学芸員がいるわけではないうえ、周囲に案内板もほとんどなく、訪れる人はわずかだそうです。そこで、同映画の影響もあり、大統領府青瓦台の「国民請願」のページに、この建物を市民が運営する人権記念館にしてほしいとの意見があげられ、インターネットなどでも反響を呼んでいます。また、政権が変わったことも、負の遺産にも目を向けようとの動きを活性化させている一因なのかもしれません。