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朝鮮時代の猛暑対処法は?

#マル秘社会面 l 2018-08-08

玄海灘に立つ虹

ⓒ Getty Images Bank

110年来の猛暑と言われている今年ですが、ではその100年前朝鮮時代の人々は猛暑をどのように過ごしていたのでしょうか? 朝鮮時代、人々は猛暑を恨み、猛暑の太陽のことを驕陽(キョヤン)、驕慢な太陽と呼んでいました。朝鮮後期の学者チャン・ユ(張維)は日照りの解消を訴える文章で

今年のこの日照りは 誰の責任か 驕慢な太陽が燃え上がり 陰陽の陰は相手を失い 恐ろしい気勢が蓄積され 炎の勢いが四方に飛びちる

また暴力的な太陽という意味で暴陽(ポクヤン)という言葉も使われています。1567年の記録には

荒々しい暴陽が日に日に強くなり、土は干からびて、種まきはすでにその時期を失ってしまった。民生の疲労は言葉に表せないうえに、飢饉が加わり多くの死体が穴を埋めている。

と多くの死者がいたことを物語っています。ではこのような猛暑に朝鮮時代の人々はどう対処したのか? キウチャ(祈雨祭)、雨乞いの祈雨祭を行いました。朝鮮実録にはこの祈雨祭に関する記録が1600件も出てきます。英祖(ヨンジョ)のこんな言葉も残っています。

自分が祈雨祭に参加すれば、百官僚はそれでも木陰に行くことができるが、軍兵は野天の暑い太陽の下に立っていなければならない、それが可哀相なので祈雨祭への参加は取りやめた。

一方でこの猛暑と日照りが、それまでの農業中心だった朝鮮の経済に新たな変化をもたらしたという記録もあります。自然災害の影響を受けにくい商業や手工業を発展させたという見方です。また朝鮮時代の王様、猛暑に積極的に対処した人もいました。正祖(チョンジョ)は、国の命令で土木工事の現場などに動員された人々を見て

「うだるような暑さの中でこのような工事を監督したり、従事する数多くの人々がうめき、息も絶え絶えでいる。その様子が目に浮かぶ。暑さにあえいでいる人々の熱を少しでも冷ます薬を調剤するように」

と命じます。そして暑さで疲労している人々の熱を冷ます漢方薬、チョクソダン( 滌暑丹)と呼ばれる薬4000錠を調剤して、各地域の国の工事現場に送り人々に渡したと言います。また1484年成宗(ソンジョン)は暑さで苦しんでいるとして一部の極悪犯罪者を除いた軽犯罪者に対して釈放を命じています。

このようなひどい暑さに軽い犯罪で捕らえられ、何日も拷問されて死んでいく者が必ずいるだろう。そのような者は釈放するように

薬を調剤して建設現場で働く民衆に渡した王様、軽犯罪で捕らえられ猛暑の中を拷問されて死んでいく人々が可哀相だと釈放を命じた王様。そして現在、電気料金が怖くてエアコンを思う存分かけられない民衆のために政府は電気量の一時的な引き下げを命じました。

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