セウォル号惨事から10年、記憶と記録
2024-04-19
小説「中国人通り」の舞台は、ソウルの近郊、仁川(インチョン)の、今で言えば中華街です。韓国戦争当時、この一帯は国連軍による仁川(インチョン)上陸作戦、北韓に奪われた首都ソウルを取り戻すための作戦が繰り広げられた地域でした。小説は語り手となっている少女「私」の目を通して、韓国戦争後、厳しい環境の中国人通りで生きる人々の暮らし、その中で成長していく少女の姿を描き出しています。
ひっくるめて中国人通りと呼ばれる街で、
彼らと隣り合わせに暮らしながらも、
彼ら中国人に関心を持つのは子どもたちだけだった。
私たちは彼らとまったく接触がなかったにもかかわらず、
丘の上の2階建ての家、その中で暮らす人たちはいつも想像と好奇心の酵母のような存在だった。
통틀어 중국인 거리라고 불리는 동네에
바로 그들과 인접해 살고 있으면서도
그들 중국인들에게 관심을 갖는 것은 아이들뿐이었다.
우리는 그들과 전혀 접촉이 없었음에도
언덕위의 이층집, 그 속에 사는 사람들은 한없이 상상과 호기심의 효모였다.
#インタビュー:ソウル大学国語国文学科 パン・ミノ教授
8人の子を産んだ母親や、妹に夫を奪われた祖母、メギー姉さんのようにその日暮らしの中国人通りの女性たちには選択肢があまりありませんでした。しかし、そんな女性の姿を目にし、またその生き方に懐疑心を抱いて成長していく少女には、彼女たちとは違う可能性が開かれています。小説の最後に初潮を迎えた少女は、目まぐるしく変化していく社会で、母親を含めて中国人通りの女性たちとは違う道を歩んでいこうとするはずです。
私が昼寝から目を覚ました時、
母はひどい難産だったものの8番目の子を押し出した。
暗い押し入れの中で、
私は理解できない絶望と孤独を感じ、母を呼んだ。
そして、服の中に手を入れ、
クモの巣のように全身をねっとりと絡める蒸し暑い熱気を、
その熱気の正体を探り出した。
初潮だった。
내가 낮잠에서 깨어났을 때
어머니는 지독한 난산이었지만 여덟 번째 아이를 밀어내었다.
어두운 벽장 속에서
나는 이해할 수 없는 절망감과 막막함으로 어머니를 불렀다.
그리고 옷 속에 손을 넣어
거미줄처럼 온 몸을 끈끈하게 죄고 있는 후덥덥한 열기를,
그 열기의 정체를 찾아내었다.
초조(初潮)였다.
作家:呉貞姫(オ・ジョンヒ)(1947.11.9.~、ソウル生まれ)
1968年 「中央日報」に発表した小説「玩具店の女性」を通じて文壇にデビュー
1979年 文芸誌「文学と知性」を通じて短編小説「中国人通り」を発表
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