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論点

サムスンの李健熙会長が死去

2020-10-31

ニュース

ⓒYONHAP News

サムスン電子の李健熙(イ・ゴンヒ)会長が25日、亡くなりました。

78歳でした。

李健熙会長は6年前の2014年5月に急性心筋梗塞で倒れ、経営一線から退き、入院先の病院で介護を受けて暮らしていました。

李健熙会長は父親の故李秉喆(イ・ビョンチョル)氏が立ち上げた小さな貿易会社を、保険から流通まで手掛ける企業グループに育て上げ、中でもサムスン電子は半導体や携帯電話などで世界的なIT企業となりました。

李健熙会長はサムスングループ創業者の故李秉喆氏の三男として1942年に韓国南東部の大邱(テグ)で生まれました。

1961年にソウル大学師範大付属高校を卒業、日本に渡り、早稲田大学商学部で学び、早稲田大学卒業後はアメリカのジョージ・ワシントン大学経営大学院で学びました。

サムスングループの創業者である故李秉喆氏は日本統治時代の1929年から31年まで日本に留学し、早稲田大学政治経済学部で学んだことがあり、故李秉喆氏が「日本で先進の学問を学んでこい」と勧め、早稲田大学商学部に留学したということです。

韓国に帰国したあと、サムスン物産副会長、サムスングループ副会長などを歴任し、1987年に死去した故李秉喆氏の後を継いで、サムスングループの会長に就任しました。

1981年には 韓日経済協会副会長を務めたこともあります。

1993年には「量から質への成長」を目指す「新経営方針」を発表、ドイツのフランクフルトに役員を呼び集め、「妻と子以外は、全てを変えよ」と呼びかけ、変化と革新を督励しました。

1995年には品質に問題があった携帯電話の在庫15万個を全職員が見守る中で焼却処分し、「量から質への成長」を目指すサムスングループの経営方針をアピールして、注目を浴びました。

不良品が出たら問題が解決されるまですべてのラインを止める「ラインストップ制」を推進し、品質向上を徹底したことでも知られています。

李健熙氏は会長に就任後、電子、電器産業のほか、化学、金融、サービス業など、さまざまな事業を果敢に展開し、「品質経営」「デザイン経営」を前面に打ち出して、サムスングループを韓国トップの財閥に成長させました。

1987年に1兆ウォンだったサムスン電子株の時価総額は2012年には390兆ウォンに増え、資産総額は500兆ウォンにまで膨れ上がりました。

サムスングループ全体の輸出額は、韓国の輸出総額の3割近くを占めています。

李健熙氏は政界へのロビー活動など贈賄事件に絡んで検察に起訴され、会長職を退いたこともありました。しかし、果敢な投資と品質重視経営を通じて半導体と携帯電話などで成長神話を築き、サムスンを世界トップレベルの企業に成長させ、韓国経済の高度成長をけん引した功績は今後も残るでしょう。

サムスングループは、現在は息子の李在鎔(イ・ジェヨン)副会長が経営を仕切っていて、スマートカーや次世代通信規格「5G」、バイオ技術などへの新規投資を進めています。

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