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三・一独立運動発祥の地、タプコル公園の歴史

#ソウル・暮らしのおと l 2024-03-01

金曜ステーション

ⓒ Getty Images Bank
3月1日は、 三一節(삼일절)と呼ばれる独立運動記念日です。1919年3月1日、日本の植民地支配下で民族解放を求める独立運動が起こり、全国に広がるきっかけとなった日です。 三・一独立運動を象徴する場所として有名なのは、鍾路区にあるタプコル公園。ここで独立宣言書が読み上げられ、集まった4~5千人の学生が一斉に万歳を叫んで街頭へとあふれ出しました。まさに3.1独立運動発祥の地として象徴的な場所です。
じつはタプコル公園は、韓半島にはじめて造られた近代式の公園という歴史もあるのです。そして時代を反映しつつ、さまざまな運命をたどってきました。そこで今日は、その歴史的背景を振り返りながら、タプコル公園の近代から現代までの変貌の様子をたどってみます。

タプコル公園のある場所はもともと、1465年に国王世祖が建てた円覚寺というお寺のあった場所でした。寺に建てられた精巧な彫刻の十層石塔、そして寺の経緯が刻まれた石碑は、現在も公園に保存されていて、それぞれ国宝第2号、宝物第3号に指定されています。

ⓒ Getty Images Bank
1890年代、大韓帝国の高宗は、ここに初の公園をつくることにします。これを建議したのは当時税務官だった英国人のブラウンでした。空き地を塀で囲み、皇室の演奏会を開くための八角亭も作られます。円覚寺の遺跡である十層石塔と石碑も復元され、いまのタプコル公園の原型がこの頃作られて行きます。

1910年以降の日本の植民地時代には、日本式のあずまややガラスの温室など、日本人の好む施設が作られていきます。ところが、1919年に八角亭で独立宣言書が読み上げられ万歳運動が起きたことから、韓国人にとってこの公園は民族独立の象徴となっていきました。

植民地解放後、荒廃した公園の復旧作業後、タプコル公園は再び大きな変貌を迎えます。1960年代、ソウル市の都心再開発事業の一環として、タプコル公園をぐるっと取り囲む 「パゴダアーケード」という民間資本の商店街が作られたのです。それに伴い公園は入場料制になりました。ところが、建設当時から揉め事の絶えなかったアーケードは、訴訟の末にソウル市に管理権がわたり、結局たった15年で閉鎖・撤去の運命となります。
その後、公園はまた無料で開放され、それまでパゴダ公園やタプトン公園とも呼ばれていた名前も、1991年に正式名称をタプコル公園とすることで落ち着きました。

ⓒ KTO, photo gallery Kim Ji-ho
90年代から2000年代にかけてタプコル公園のイメージは「おじいさんたちの憩いの場」。大勢の年配者たちが一日中囲碁や将棋を打っている様子が見られました。また、経済的に困難な人たちのための炊き出しなどもこの公園で行われたりしました。ただ、そうなると逆に公園を使いにくくなるという声も多くなったので、ソウル市は2001年、再整備を進めて公園設備を整えます。そうしてタプコル公園は、国宝の十層石塔、そして三・一独立運動の象徴を備えた公園として、現在の姿に至ります。
こんな風にあらためて歴史を振り返ると、小さな公園ながらも、時代の荒波にもまれつつしっかりとその姿を守ってきたんだな、と感慨深くなりますね。

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