アメリカは、北韓が2000年にウラン濃縮による核開発を始めたものと判断していましたが、実際にはその2年前の1998年にパキスタンの協力を得て秘密裏にウラン濃縮プロセスに着手していたとみられます。
日本の毎日新聞が、IAEA=国際原子力機関の核査察活動に詳しい複数の外交筋の情報として11日、報道したところよりますと、北韓は、1990年代半ばにパキスタンの「原爆の父」と呼ばれるカーン博士と接触してウラン濃縮用の遠心分離機などを入手した後、1998年4月に、核兵器の原料となる六フッ化ウラン(UF6)を試験製作し、カーン博士に成分分析を依頼したということです。
これは、北韓が1994年10月の米朝ジュネーブ合意でプルトニウムの核開発を中断し、その見返りとして提供される軽水炉2基の建設が始まった翌年に当たります。
毎日新聞は、パキスタンが北韓から導入した労働ミサイルの代金の支払いが滞ったため、その代わりにウラン濃縮技術を提供したのではないかと分析しています。
北韓は、2009年4月に寧辺(ヨンビョン)にある核施設で無能力化作業を監視していたIAEA査察団を国外退去させた後、ウラン濃縮活動を進めていることを公式発表し、2010年11月にはアメリカの核専門家を招いて2000基の遠心分離機が設置された寧辺のウラン濃縮施設を公開していました。