1980年5月18日から10日間行われた光州民主化運動で、学生や市民に向けての発砲命令が出されたことを示す軍の内部文書が見つかりました。
5.18記念財団が24日公開したものです。
文書には、夜の11時に完全武装した暴徒が1万人に上るという内容の報告があり、その15分後に全南大学周辺に展開されていた兵力などに対して有事の際の発砲命令が出されたという報告内容が記されています。
文書の下のほうに書かれた数字から、1980年5月21日午前0時20分、「505保安部隊」が作成した文書と推定できるということです。
21日は、鎮圧軍部隊が全羅南道の道庁の前で集まっていた光州の学生や市民に向けて発砲した日です。
これまで、軍は、発砲の指示はなく、現場の兵が勝手に発砲したと主張してきました。
5.18記念財団は、今回見つかった文書は、「軍の主張がうそであることを証明する証拠」だとしています。
5.18記念財団は、「文書を入手した経緯については今の段階では明らかにできない。文書を公開したのは、国防部に積極的な真相究明を求めるため」としています。
真相究明に乗り出している国防部は、軍に対し、光州民主化運動に関する軍の文書を廃棄しないよう指示しました。
光州民主化運動は、1980年5月18日から10日間、光州の学生や市民が民主化を求めて反政府デモを展開したもので、これに対し政府の鎮圧軍部隊が出動し、軍の発砲によって200人以上が死亡または行方不明になっています。ユネスコ=国連教育科学文化機関は2011年、この運動を「民主抗争」と認めています。