光州民主化運動当時、鎮圧に当たった政府の空輸部隊が、鎮圧後に一般歩兵の服装をして、死亡して仮埋葬された学生や市民の遺体の発掘作業にあたったという証言記録が見つかりました。
2007年に国防部の「過去史真相究明委員会」が光州民主化運動当時、11空輸旅団に所属していた下士と面談した内容を記録した報告書をみますと、光州民主化運動当時、光州に駐屯していて、そのあとソウルの大学街に配置された11空輸旅団の一部の兵士が、歩兵の服装をして再び光州に移動し、仮埋葬の現場を発掘する作業を行ったと記されています。
犠牲者の仮埋葬に関する文書が公開されたのは初めてで、犠牲者の仮埋葬地の場所を見つけるうえで手がかりとなりそうです。
また、空輸部隊員に歩兵の服装をするよう指示したことから、組織的な隠蔽の意図があったかについても、今後、究明が必要です。
このところ、光州民主化運動当時、政府の鎮圧軍部隊によって連行され、光州刑務所で拷問を受けて死亡し、近くの山などに仮埋葬された学生や市民の犠牲者の遺骨の発掘が大きな社会的関心事となっています。
当時、行方不明者が埋葬されたと推定される光州刑務所周辺についての発掘作業が、早ければ来月の旧暦のお盆、秋夕(チュソク)の連休前に始まる見通しです。
光州民主化運動は、1980年5月18日から10日間、光州の学生や市民が民主化を求めて反政府デモを展開したもので、これに対し政府の鎮圧軍部隊が出動し、軍の発砲によって200人以上が死亡または行方不明になっています。