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社会

2.8独立宣言 100周年記念行事

Write: 2019-02-08 14:45:55

2.8独立宣言 100周年記念行事

Photo : YONHAP News

日本による植民地時代に、東京のど真ん中で大韓民国の独立を宣言し、「3.1独立運動」や臨時政府樹立の引き金となった「2.8独立宣言」からちょうど100年となり、100周年記念行事が8日、ソウルと東京で同時に行われました。
「2.8独立宣言」は、1919年2月8日、韓国人留学生600人あまりが東京で祖国の独立と抗日闘争の意志を鮮明にした事件です。
アメリカのウィルソン大統領が第1次世界大戦後の1918年に提唱した民族自決の原則は、当時の韓国人留学生たちに影響を与え、勇気付けました。
留学生たちは1919年1月6日、雄弁大会を開き、具体的な独立運動を始めることを決意。実行委員を選んで独立宣言文の作成に取り掛かりました。
独立宣言文では、まず、民族の独立の根拠とその正当性を示しました。
また、日本による植民地支配は、自由の蹂躙、民族の差別、生存権の剥奪など「古代の奴隷政策」と同じだと非難し、これに対する民族の闘争は絶えず続くと強調しました。
さらに、独立によって誕生する国は、民主主義にもとづく新しい国で、世界平和と人類の文化発展に貢献すると明らかにしました。
末尾には、△韓日併合条約の廃棄と朝鮮の独立宣言 △民族大会召集の要請 △万国平和会議への民族代表の派遣、そして△これらの要求が拒否されたときには永遠の血戦を宣言するという4つの決議を付け加えました。
留学生たちは1919年2月8日、用意した請願書と独立宣言文を東京に駐在する各国の外交公館、日本政府の大臣らや議会、朝鮮総督、新聞社などに宛てて送りました。
続いて、午後2時にキリスト教青年会館で留学生大会を開き、独立宣言文を発表しました。
大会に参加した600人あまりの留学生は、独立を実行する方法について討議を行う予定でしたが、日本の警察によって強制的に解散させられ、実行委員ら13人は逮捕されました。
この2.8独立宣言と宣言文は、韓国国内に伝えられ、3.1独立運動の起爆剤となりました。

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