日本による植民地時代に旧日本軍に徴用された夫を亡くしたあと、強制動員の被害者らを支援してきたイ・グムジュ氏が老衰のため死去しました。101歳でした。
イ氏は1920年韓国南西部の順天(スンチョン)で生まれ、1940年に結婚しましたが、夫は1942年に日本海軍に徴用され、翌年、南太平洋で戦死しました。
イ氏は1988年に韓国の太平洋戦争犠牲者遺族会の会長に就任し、日本の植民地支配によって強制動員の被害を受けた韓半島出身者の1273人と直接会って、被害の事実を聴き取り、記録、真相解明に向けた活動を続けました。
イ氏は、元慰安婦らによる「関釜裁判」など7件の訴訟を日本の裁判所に起こしたほか、元徴用工らが三菱重工業を相手に損害賠償を求め、韓国最高裁で勝訴が確定した訴訟にも貢献しました。
また終戦直後に日本から祖国に戻る韓半島出身者らを乗せた輸送船「浮島丸」が京都・舞鶴湾で爆発し、沈没した事件をめぐる損害賠償訴訟を支援し、強制動員被害の真相解明などに関する特別法の制定や政府の被害調査にも貢献しました。