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社会

長生炭鉱水没事故から80年 韓半島出身労働者136人の遺骨収集はまだ

Write: 2022-02-03 12:01:11Update: 2022-02-03 12:13:40

日本統治時代に韓半島出身の炭鉱労働者136人が犠牲となった、山口県宇部市にあった海底炭鉱・長生炭鉱の水没事故からちょうど80年となりましたが、いまだに遺骨の収集は行われていません。 
長生炭鉱の水没事故が起きたのは太平洋戦争が始まって間もない1942年2月3日で、海底に延びた坑道で午前6時ごろから異常出水が始まり、午前8時半ごろには水没したとみられ、坑道で作業中だった朝鮮半島出身労働者136人を含む183人が犠牲になりました。
異常の兆候は1941年11月30日からあったとされ、坑道では水漏れや染み出しが繰り返されていましたが、炭鉱側はまともな措置を取らず作業を続けさせたとされています。
この事故は、多くの犠牲者を出したにもかかわらず、長らく注目されませんでした。
当時の新聞は、この事故に関して詳しく取り上げず、むしろ事実と異なる内容を伝えていたとされています。
韓国政府のもとで組織・運営されていた「日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会」は報告書で、「長生炭鉱が成長した背景には、戦時の労働力動員体制があり、その中心には韓半島出身労務者の強制動員があった」と分析しています。
この惨事については、犠牲者の遺体の収集や真相解明が行われないまま時がながれましたが、後に遺骨の収集活動などに取り組む地元の市民団体「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会(刻む会)」の会長を務めた山口武信氏が1976年に長生炭鉱に関する論文を発表したことをきっかけに知られるようになりました。
刻む会は、地元の有志30人によって1991年3月に発足し、事故に関する証言や資料の収集、炭鉱が存在したことを示す「ピーヤ(排気・排水筒)」の保存、追悼碑の建立、日本人としての謝罪などを目標に活動を行ってきました。
実際に証言・資料集3冊を発行し、2013年には日本での募金活動を通じて、「強制連行韓国・朝鮮人の犠牲者」と刻まれた追悼碑を設置しています。
刻む会によって、韓国でも1992年5月に犠牲者の遺族会が立ち上げられ、1993年から毎年2月3日を前後して韓国人犠牲者の遺族を招いての追悼式が行われています。
しかし、犠牲者の遺骨の収集はいまだに行われていません。

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