1980年の5月18日に民主化運動の参加者に対して発砲するなど強硬な鎮圧を指示したのが誰なのかいまだにわかっていないなか、命令したのが当時保安司令官だった全斗煥(チョン・ドゥファン)元大統領かどうかを中心に調査を行ってきた政府の委員会は、命令者の特定が困難だとする暫定報告書を発表しました。
5·18民主化運動は、1980年の5月18日に、民主化を求める光州(クァンジュ)の学生や市民が軍と衝突し、軍の発砲によって多数の民間人が死亡または行方不明になった事件です。
民主化運動での発砲の責任をめぐっては、過去にも、国防部や国会、検察などによる調査が行われましたが、真相は解明されず、2018年に制定された「5·18民主化運動の真相究明のための特別法」によりあらためて調査委員会が立ち上げられ、2019年から去年の暮まで4年間、調査を行いました。
調査委員会は、去年5月の段階では、発砲と関連のある主な人物70人あまりに対して調査を行った結果、全斗煥元大統領が発砲の命令を下したとする説を裏付ける証言が出たとして、元大統領に責任を問うことができると判断していました。
しかし、その後12月まで調査を続けた結果、発砲命令が現場の兵士に伝達される過程に直接携わった人からの証言が十分に集まらず、今回の暫定報告書では、発砲の経緯や責任者は特定できないとしています。
発砲の責任の所在を明らかにするために立ち上げられた調査委員会が、責任者の特定が不可能だという内容の報告書をまとめたことについて、批判が高まるものとみられます。
一方、調査委員会は、1980年5月に光州とその近隣地域で発生した死亡事件について、国としての責任を認めました。
また、民主化運動で行方不明となった人の数を、これまでに認定されている76人から2倍以上多い179人としました。
さらに、当時の死者数は166人、負傷者は2617人と確定しています。
これにより、これまであわせて200人以上とされてきた死者と行方不明者の数は、345人と、大幅に増えた形です。
調査委員会は、暫定報告書に対する市民団体等からの意見を取りまとめた後、ことし6月までに最終報告書を大統領と国会に提出する予定です。