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政治

強制動員被害者 80年ぶりに名古屋で地震犠牲者を追悼

Write: 2025-12-08 10:36:43Update: 2025-12-08 15:07:38

日本の植民地時代に三菱重工業・名古屋航空機製作所に動員され、過酷な労働を強いられた強制動員被害者のチョン・シニョンさん(95)が、80年ぶりに名古屋を訪れ、徴用当時に地震で亡くなった犠牲者を追悼しました。
 
韓国の市民団体「日帝強制動員市民の会」によりますと、チョンさんは7日午後、名古屋市内の名南ふれあい病院の駐車場で行われた「東南海地震犠牲者追悼式」に出席しました。
 
チョンさんは車いすから立ち上がり、慰霊碑に刻まれた犠牲者の名前に手を触れながら、一人ひとりの名前を静かに確かめていました。
 
慰霊碑には、地震で亡くなった59人の名前が刻まれていて、その中には、チョンさんとともに動員されて働いていた韓半島出身の少女6人の名前も含まれていました。
 
チョンさんは、長年胸にしまい込んできた友人らの名前を改めて確かめ、静かに冥福を祈りました。
 
チョンさんは14歳だった1944年5月、名古屋航空機製作所に動員され強制労働に従事し、同年12月に発生した東南海地震で友人らを失いました。1945年10月にようやく故郷の全羅南道(チョンラナムド)羅州(ナジュ)へ戻りましたが、日本に行ってきたという理由から偏見や非難にさらされました。

チョンさんは2020年、韓国の弁護士団体の支援を受け、三菱重工業を相手取って損害賠償請求訴訟を起こしました。裁判の過程では、日本年金機構が厚生年金の加入を否認した後、脱退一時金として99円を送金したことが明らかになり、波紋を呼びました。
 
この日の「名古屋訴訟支援会」の関係者との懇談でも、チョンさんは「3年前に三菱から給料として100円が送られてきた」と述べ、厳しく批判しました。
 
市民団体の代表は、「東南海地震の犠牲者59人のうち6人は韓半島から来た幼い少女だった」と述べたうえで、「惨事は自然災害が引き金となったが、戦犯企業である三菱の強欲と暴力が悲劇を拡大させた」と指摘しました。さらに、「戦争によって罪のない人々が犠牲になることがないよう、人権と正義の価値を守る韓日の連帯が、より良い未来を切り開くことができる」と述べました。

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