日本の植民地時代に、三菱重工業の日本の工場で強制労働させられたとして徴用の被害を訴えていたキム・ジェリムさんが30日、亡くなりました。93歳でした。
キムさんは小学校を卒業したばかりの1944年の5月に三菱重工業の名古屋航空機製作所に動員されたということです。
日本人の募集担当者から「日本に行けば勉強できる」と勧誘されて日本に渡りましたが、製作所で部品を削ったり、塗装したりするなど一日中働かされたということです。終戦によって、韓国が植民地支配から解放されたあと、帰国しました。
キムさんは生前、強制労働させられた当時を振り返り、「なぜ幼い子たちにあんなことをしたのか、なぜ今まで謝罪の言葉が一切ないのか理解できない」と語っていました。
キムさんは2014年2月に三菱重工業を相手取って起こした損害賠償訴訟の原告4人のうちの1人です。
一審と二審では三菱重工業に対し、原告1人当たり1億ウォンから1億5000万ウォンの賠償を命じる判決が言い渡されましたが、三菱重工業がこれを不服として上告し、現在は最高裁に当たる大法院で係争中となっています。