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文化

‘諧謔’と韓国文化

#国楽の世界へ l 2013-05-22

国楽の世界へ

‘諧謔’と韓国文化
韓国文化シリーズ第7回の今日は、“諧謔、こっけい”といったテーマで韓国文化を探っていきたいと思います。

韓国人の情緒の特徴として悲しみや苦しみを心の奥深くに抱いている状況を表す“恨”をあげる方が多いと思います。韓国という国が、対外的にも数々の困難にぶつかってきたため、恨が伝統文化に根付いているという見方もあると思います。けれど、昔のソンビたちの音楽には潔い気品が感じられますし、庶民の伝統芸能であった仮面劇タルチュムには堕落した両班や僧侶、浮気者のおじいさんとそれに嫉妬するおばあさんなどが登場し、風刺と諧謔がちりばめられているんですよ。国楽にもこうした笑いをテーマとしたものがたくさん伝承されています。今日は、そうした諧謔的な音楽とともに、韓国文化をご紹介していきたいと思います。まず最初にお聞きいただく曲はメンコンイタリョンです。メンコンイとは動きが鈍く、疎い人物の代名詞としてよく使われる言葉です。このメンコンイタリョンには、今から100年ほど昔、ソウルの真ん中に流れる清渓川沿いに住んでいた様々なメンコンイたちが現れます。こうしたメンコンイを通して、人々の生き様を風刺した描写となっているんですよ。

続いては、パンソリに目を向けてみたいと思います。実はパンソリはこの世の終わりかのように悲しみに泣き叫んでいたかと思えば、何事もなかったかのように笑いがはじけるといったジャンルの音楽なんです。水宮歌のひと題目を見てみましょうか。海を司る竜王が、自分の病気を治すというウサギを探してくるよう命令を下すため、臣下を呼び集めます。そうしたところ、イカ、貝、ニシン、ひらめ、太刀魚などがぞくぞくと登場したのです。これを見た竜王は病気のことなどすっかり忘れ、思わず一言つぶやきます。“わしは竜王ではなく、これではまるでチュソクのための市の日に、商売のために出てきた魚売りではないか”こういったところに滑稽が現れていますよね。さらに、先々週“オボイナル”の特集でお送りした“沈清歌”にも実は滑稽なシーンがあるんですよ。盲目の父親の目を開かせるため、幼い娘が自ら命を投げ出すという悲劇の中で、沈清がお金を作って海に行ったあと、そのお金を目当てにやって来たペンドクという後妻と沈清の父親との滑稽話が続くんです。そして、もうひとつ、パンソリの赤壁歌の中の赤壁火戦は、昔の人々の奇抜な想像力と余裕をよく表している題目だと言えます。大規模な軍を率いて呉の国を攻撃した曹操(そうそう)の兵たちは、予想外の火攻めに合い、退去します。こうした阿鼻叫喚の地獄のような中に、観客の裏をつく笑いの要素が含まれているんですよ。
死は暗く厳粛なものだと考えられがちですが、昔の人々には死さえも風刺の対象になったようです。特にパンソリは庶民の間から始まった文化であるため、このような風刺の傾向が強いと思われます。赤壁歌に登場する名もない兵士たちは、たいてい自ら望んで参戦したわけではなく、徴収により仕方なくつれて来られた人たちでした。自分の命さえ、他人の命令によって死に追いやられてしまうという不条理な現実を、笑いを通して表現するというところがパンソリの力ではないでしょうか。そして、こうした諧謔の伝統は、近年の若者たちの間でも受け継いでいこうとする動きが見受けられるんですよ。

♬ メンコンイタリョン
♬ 赤壁歌
♬ ナンガマネ(困るな)

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