韓国文化シリーズ第27回の今日は、“クムガンサン”というテーマで韓国文化を探っていきたいと思います。
韓国には四季折々の変化がはっきりとある、とよく韓国の人たちは自慢するように言うことがあります。日本もこの点では同じですよね。幼いころから、春夏秋冬を感じながら育ってきたため、いまさら自慢するほどのことでも、と思われるかもしれません。けれど、今の時期、高く、真っ青な空をながめていると、つい写真を撮ったり、誰かとこの風景を分かち合いたいと思ったりするものですよね。また、ソウルを囲むようにそびえる山々に目を向けると、真っ赤にそまった紅葉が目に飛び込んできます。一生を終えて散り行く物悲しさも加わり、もしかしたら、花より美しいと言えるかも知れません。昔から、韓国を代表的な美しい山と川を三千里錦繡江山(サムチョンリクムスカンサン)と呼んできたのですが、その中でも最も美しいとされているのが、金剛山(クムガンサン)なんです。金剛山は古くから、多くの詩人や画家、ソンビたちが一度は訪れるべき場所として考えていたといいます。
高麗時代のイ・ゴクという人物が、ある秋の日に、 金剛山を訪れた感動を、次のような文書として残しました。
秋にこれから金剛山を遊山にでかけようと、天磨嶺を越えて山の麓で一夜を明かし、朝早く寝床で食事をした後、山に登ると、雲と霧に覆われて薄暗かった。人々が言うところによると‘秋に金剛山に行った人が、雲と霧のため、何も見られずに戻ってくるることが多い’という。共に来た者たちは、みな真剣に黙黙と祈りつづけた。5里ほど行くと、陰った雲が徐々にうすくなり、そこから日の光が漏れ出してきた。‘お辞儀峠’に差し掛かったとき、空は明るく、空気も澄み渡り、山の明るさが一段と映えて見えた。1万 2000ともいわれる峰を一つ一つ数えることができそうだった。この山に来る人はすべて、必ずこの峠を経由する。峠を登りきると、人々は山を眺めようと、首を下に傾ける。自ら意識しなくとも、この峠では、お辞儀をするかのように頭を下げることになるのだ。このような理由から、この峠は‘お辞儀峠’と呼ばれている。
金剛山を描写した古い絵もたくさん残されています。多くの人は、美しい風景を前にしたら、絵としてでも残したいと思うことでしょう。こうした残されてきた絵の中でも、最も有名なのが、チョンソンという画家が描いた金剛(クムガン)全図という作品です。
ある冬の日、寒々しい山の連なる風景が力強く描かれていて、一角には自ら詠んだ詩が書かれています。岩山は何輪もの蓮華の花のように連なり白い光を放っている。またその横には松の木が茂り、道をつくっている。たとえ私の足で直接踏んでみることにしても、これから、またあまねく歩かなくてはならない場所だ。それなのに、どうして枕に寝転び、私の絵だけをじっと見つめているというのか。
♬ 金剛山タリョン
♬ クムガンソンニョ(金剛の仙女)
♬ 美しい国へ