韓国文化シリーズ第59回の今日は、韓国の民族衣装、その中でも女性の「ハンボク」というテーマで国楽の世界へ、みなさんをご案内いたします。
韓国の昔の風景を再現した民俗村に行くと、人の身長よりもはるかに長いブランコがあります。昔は民族衣装ハンボク姿でクネと呼ばれるこのブランコに乗る風習がありました。今日お伝えするお話、身分の違いを乗り越えた恋愛のストーリー「春香伝」ではこのブランコから恋がはじまっているんです。
ある端午の節句、子供の日の朝のことです。ナムウォンという地域の官職の息子、イ・モンリョンは、晴れた日に部屋に閉じこもって本を読むのが退屈になったので、クァンハンルに出かけました。ここがその有名な春香伝(チュニャンジョン)の舞台となる楼閣です。華やかな花吹雪の間から、何かが行ったり来たりしています。ブランコに乗っている春香の姿です。雪のように吹雪く花びら、そして杏子の花が春香の服に触れながら落ちる姿。春香の姿がまるで踊っているかのように見えたのです。端午の節句ということで、春香もおしゃれをして出かけたはずですが、そういう日に限ってばったりと出会った二人。お互いに運命を感じたことだと思います。ブランコに乗っている春香と遠くから見つめるイ・モンリョンの恋はここからはじまっているんです。この春香伝は韓国では大変人気があり、今でもパンソリ、小説、映画などで広く親しまれています。
韓国の民族衣装ハンボク、日本ではチマチョゴリという表現でもっと知られています。チマはスカート、チョゴリは上着を指します。ハンボクは、全て同じようなデザインに見えるかもしれませんが、実は今でも流行にとても敏感な服なんです。どんな素材にするかからはじまって、チマの幅や、チョゴリや腕の長さ、さらにはチマとチョゴリの色合いに至るまで多様な組み合わせがあります。このようにハンボクは色々な形で変化を重ねてきましたし、今でも発展しているのです。特に、高句麗の壁画の中の民族衣装は、現在のハンボクとはデザインが違います。まず目立つのは、上着のチョゴリがお尻を隠すほど長く、また結びひもの代わりに帯のようなもので固定させていたところです。このデザインは若干の変化はあったものの高麗の末期、朝鮮の初期まで続いていたようです。今私たちが知っているハンボクは、もう少し時間が流れた朝鮮の中期、後期になってから出来上がったデザインだそうです。
朝鮮中期に入ってからはハンボクのデザインも変わってきます。チョゴリの長さは短く、裾の周りはラウンド型になりました。襟や袖、首や脇の部分には違う色の生地を当ててポイントを与えていたようです。さらに、朝鮮後期になるとまたも大きな変化があります。チョゴリの長さは胸元よりも短くなり、袖は上着を切らないと脱げないほど幅が狭くなります。このような流行りを主導したのはやはり男性の目を引き付けようとしたキーセンと呼ばれる芸者です。でもこの流行りはすぐにヤンバンと呼ばれる上流階級にも広がります。これに対し、学識者のソンビ、イ・ドクム先生は、着ることも脱ぐことも大変なチョゴリの流行を指摘する記録も残しています。でも、全ての男性が否定的に思っていたわけではなかったようです。このようなデザインが流行るようになったのは、キーセンのハンボクに見とれた男性が自分の妻にも勧めたからであるという記録も残っているのです。
♬ 春香歌の中から「チュニャンチュチョン」
♬ ケミョン(界面)ピョンスデヨプ(篇數大葉)、「モシルッ」
♬ 北韓地域に伝わるアリラン、「ソドアリラン」