中国の記録によると、韓国の民族は歌と踊りが好きだったそうです。何かあると夜通しで歌と踊りを楽しんだとのことです。歌や踊りが嫌いな人はあまりいないとしても、そのような記録まであるのを見ると相当好きだったようです。それだけ語りたいことが多かったのかも知れません。昔の歌の中には、歴史には記録されていない、当時の人々の多様なストーリーが盛り込まれています。故郷の郷に歌と書いて郷歌(ヒャンガ)と呼ばれる歌は、統一新羅時代に歌われたものです。この言葉には、韓国固有のものという意味が含まれています。当時の新羅にも海外から歌が入ってきていましたが、そのような歌とは違う、代々歌われた固有のものという意味です。今日の最初の歌は、「処容歌(チョヨンガ)」という郷歌です。悪鬼を追い払う処容(チョヨン)という人物の歌です。オウリムの歌でお楽しみください。
郷歌は韓国固有の歌ではありますが、当時の民謡まで含むものではありません。誰が作ったか明確に知られていて、一定の形式を有する高級感のある歌です。統一新羅時代には数多くの郷歌が作られ、「三代目(サムデモク)」という歌集までありました。でも、今では高麗の郷歌が11、新羅のは14の郷歌だけが伝わっています。大変昔の歌なので、そのリズムは忘れられています。しかし、独特なストーリーの歌詞は残っているんです。今の歌い手にとっては、昔の音楽が感じられる、宝庫のようなものです。先ほどお聞きになった「処容歌」は、龍王の息子、処容に関する歌です。病を移す疫病神が自分の妻を奪おうとしたのを見ても、それを赦したという人物です。それだけ心が広い人と伝えられ、悪鬼を追い払う特別な力のある存在とされました。今度は、また他の郷歌、お花を捧げる献花の歌をご紹介いたします。水路という夫人が絶壁に咲いたツツジの花を欲しがると、一人のお年寄りが現れてそのお花を差し出したという内容です。この曲を、子供たちも歌いやすい童謡に作り替えた曲があります。「赤い花、赤い心、붉은 꽃 붉은 마음」という曲です。
昔の人々は、歌に特別な力があると信じました。何人かの人が心をひとつにして歌を歌うと、いつかはそれが現実になるということです。そんな歌の力、または、その力を信じる人々の心をうまく利用した人たちがいます。「ソドンヨ」という歌を作ったソドンが、その代表的な人物です。百済の貧しい青年ソドンは、新羅にソンファという美しい姫がいるという噂を聞きます。彼は彼女と結婚するために、歌を作って子供たちに教えました。ソンファ姫が毎晩ソドンに会いに行くという内容です。この歌が広がると、二人の関係は大きく話題になります。歌を作った当時は嘘であったとしても、結局は本当に姫と結婚することになったのです。ソドンは姫と結婚してから、後日百済の王になったとのことです。その王が、韓国南部の彌勒(ミルク)というお寺を建てた百済の第30代、武王です。最後は、この「ソドンヨ」という曲をお聞きいただきます。センファン、タンソ、カヤグムで演奏いたします。
最近、このお寺の石塔を復元する中で、武王の妻がソンファ姫ではなく、他の女性であったということが明らかになり話題になりました。このお話は、果たしてどこからどこまでが真実なのでしょうか。今後より多くの研究がなされればと思います。