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ことし50周年を迎えたソウル地下鉄の歴史

#ソウル・暮らしのおと l 2024-08-23

金曜ステーション

ⓒ KBS WORLD Radio
クイズです。50年間で800億人を乗せ、地球を5万周走った乗り物は何でしょう? 
答えは、ソウルの地下鉄です。じつは今年はソウル地下鉄50周年となる年。1974年8月15日、韓国ではじめての地下鉄1号線が開通しました。これを記念して、ソウル歴史博物館ではいま、「ソウルの地下鉄」という企画展を行っています。そこできょうは、展示で紹介されていた内容から、ソウルの地下鉄50年の歴史をたどってみます。

ⓒ KBS WORLD Radio
ソウルに地下鉄を作ろう、という議論が具体的になってきたのは、1960年代に入ってからでした。そのころ急速な経済成長と都市化によってソウルの交通の混雑は深刻なレベルになっていました。64年にソウル市が初めて「地下鉄建設本部」を設けて計画を立てますが、じつは反対の声も激しかったのです。 「ソウルに地下鉄を建設したら、国が亡びる」と 経済副首相が言ったほど、当時の韓国の経済規模と技術力では、とうてい無謀な計画と思われたからです。電源の供給問題や、工事のとてつもない騒音 、東大門や南大門などの文化遺産が損なわれるのではないかという危惧など、問題は山積みでした。

それでもソウル市は計画を推し進めて、ついに1974年、1号線の鍾路線区間が完成。国をあげてのお祝いムードでした。ところが、開通記念式を行う8月15日は、とんでもない歴史の不幸に見舞われます。記念式の始まるわずか1時間前に、朴正煕大統領夫人が銃撃を受けて死亡。結局、大統領不参加のまま記念式典は重々しいムードで開かれたのです。

ⓒ KBS WORLD Radio
そのような出だしでしたが、ソウルの地下鉄開通は画期的な出来事でした。その後、ソウル地下鉄は3期の段階を経て作られていきます。1期の段階は、1号線の開通から10年後の1985年に完成した2,3,4号線です。2号線は漢江を中心に楕円形に広がる環状線、そして、北西から南東に延びる3号線と、北東から南西に延びる4号線が、ソウル中心部でクロスする形でつくられます。これによって、ソウル郊外から中心部への行き来がはるかにしやすくなり、住宅地も広がりました。ソウル市は1~4号線の開通に合わせて、市内のバスの路線も変更するなど、ソウルの交通システム全体を構築していきます。

その後2期の計画では、5~8号線の建設はIMF危機を受けて遅れ、2001年になって完成。3期となる9~12号線の予定も通貨危機の影響をうけて大幅に変更となり、9号線のみとなりました。こうして、合計357.5キロとなる地下鉄1号線から9号線は、2000年代になってようやく完成したのです。

ところで、ソウル地下鉄開通がもたらした社会文化の大きな変化が二つあります。
一つは、いわゆる「コリアンタイム」の解消。時間にルーズであることを皮肉っていわれたコリアンタイムですが、時刻表に合わせて定時にくる地下鉄のおかげで、約束の時間を守るという意識が根付きはじめたそうです。もう一つは、読書の文化。人々は地下鉄での移動時間を使って本や新聞を読んだり、参考書で勉強する時間を確保できるようになりました。揺れのはげしいバスなどよりはずっと読書に快適な空間ですもんね。これで地下鉄の駅にはどこでも新聞売り場や小さな本の販売所ができ、出版業界にも大きな影響を及ぼしたそうです。地下鉄の開通は単なる交通手段の変化を越えて、町の在り方や暮らしを大きく変えていったと言えます。

開設50年を迎えたソウル地下鉄。いまは1~9号線に加え 牛耳新設線 と新林線の11路線が運行され、年間26億人を運ぶ、なくてはならない交通インフラです。

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