メニューへ 本文へ
Go Top

文化

「本調アリラン」ほか

#国楽の世界へ l 2017-03-01

国楽の世界へ

「本調アリラン」ほか
1926年に封切したナ・ウンギュ監督の「アリラン」という映画は、俳優のセリフがないサイレント映画です。民族の痛みを表した秀作と評されます。日本植民地時代、拷問を受けておかしくなったヨンジンという青年のお話です。キホという悪者が自分の妹に手を出そうとすると、幻覚症状を起こし、ヨンジンはキホを殺害してしまいます。ヨンジンが警察に連れていかれる場面で、人々は「アリラン」を歌いながら見送ります。映画で流れた歌、「アリラン」も大きく人気を博しました。その後、この「アリラン」を真似た多様な歌が作られます。映画で流れた曲、アリランは「本調アリラン」、それ以前から歌われたアリランは「旧アリラン」、その後歌われたアリランは「新アリラン」と区分することもあります。今日は、まず、キム・ヨンウさんの歌で、「本調アリラン」をご紹介いたします。

映画で流れた「アリラン」は、ナ・ウンギュ監督が直接作った歌だそうです。監督は、もともと北韓の「フェリョン」という地域の出身です。監督が小学生の頃、フェリョンまで鉄道の工事が行われましたが、南の方からの労働者がいたようです。彼らは作業をしながら、「アリラン、アリラン」と物悲しく歌を歌いました。その歌声が心に響き、立ち止まってしばらくを聴いていたそうです。そして、哀憐で美しいメロディーを口ずさんだと言います。その後、ソウルに来てから、この「アリラン」を探しました。しかし、当時「江原道(カンウォンド)のアリラン」という民謡以外には、探せませんでした。有名な歌い手も、妓生も、「アリラン」を歌う者はあまりいなかったのです。それで、昔のメロディーの記憶をたどって歌詞を作り、リズムは音楽隊にお願いして作ったのが、この「アリラン」です。そのようにしてできた「アリラン」は、当時、文化や社会に多大な影響を及ぼしました。歌が持つ力とは、想像を絶するものです。「アリラン」の中で最も歴史が古いのは、江原道の旌善(チョンソン)という地域に伝わる、「旌善アラリ」です。暮らしの哀歓を表現した曲、「旌善アラリ」をお楽しみください。

朝鮮時代末、韓国で活動したアメリカ出身の宣教師に、ホーマー・ハルバートという方がいます。彼は、宣教師であり、歴史学者、言語学者でもありました。朝鮮の王、高宗(コジョン)の傍で政治にも関与しました。また、彼は、西欧社会に「アリラン」を楽譜で紹介した方でもあります。彼は、アリランは朝鮮の人々にお米のような歌だと言ったそうです。第一次世界大戦の際、ドイツの収容所では、世界各地の人々を対象に民族の言語や歌を録音しました。その時、捕虜になったロシア軍には韓国出身の人もいたそうです。そこで彼らが歌ったのも、アリランだったとのことです。最後は、珍島(チンド)地域のアリランです。「珍島アリラン」をお楽しみください。

アリランは、時間の流れと共に多様な形で作られています。ドイツの収容所で、彼らが自らのアイデンティティーを表した歌もアリランでした。ハルバートが、アリランはお米のような歌だと言った意味を明確に表しているようです。

おすすめのコンテンツ

Close

当サイトは、より良いサービスを提供するためにクッキー(cookie)やその他の技術を使用しています。当サイトの使用を継続した場合、利用者はこのポリシーに同意したものとみなします。 詳しく見る >