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セウォル号惨事から10年、記憶と記録

#ソウル・暮らしのおと l 2024-04-19

金曜ステーション

ⓒ YONHAP News
先日4月16日は、旅客船セウォル号沈没事故から10年となる日でした。そこで今日は、10年という節目を迎えたセウォル号の記憶と記録についてお話したいと思います。

2014年4月16日にセウォル号という旅客船が沈没し、 行方不明者5人を含む304人が犠牲になった、という船舶事故についてはご存じかとは思いますが、これがどうして社会的惨事と言われることになったのかは、あまりわからない方も多いかもしれません。まずはその背景について振り返ってみます。

ⓒ YONHAP News
当時、なぜこんなに大きな事故が起きたのか、なぜすぐに救出できなかったのかに注目が集まりましたが、真相究明はまったく進みませんでした。遺族の必死の闘争で、セウォル号特別法が制定され、「4.16セウォル号惨事特別調査委員会」が設置されました。しかし、当時の朴槿恵政権や与党に不利な調査結果が出ることを懸念した政府が、委員会の発足や活動を妨害したという事実が後から発覚しました。
事故から3年もたってようやく船が引き上げられ、「船体調査委員会」が発足しますが、結局事故の原因は船の内部にあるのか、それとも外部の要因があるのかをはっきりと結論づけることができませんでした。その後、初の独立した災害調査機関である調査委員会が発足し、3年半の調査を続けますが、十分な真相究明に至らないままに最終報告書が出されました。
責任者として実刑を受けたのは、船長などの民間人、そして海洋警察の6級公務員のみでした。結局、事故に対してずさんな対応をした政府や、調査を妨害した高官はほとんど処罰を受けませんでした。

一方で、公式の追悼場所を作ることを政府が承認し、檀園高校のある安山市に「生命安全公園」という追悼空間が建てられることが決まっています。ところが協議が何年も引き延ばされたまま、いまだに着工すらされていません。このようなことから、10年がたった今でも、セウォル号惨事は区切りのついていない問題と言えます。

それでも、この間韓国社会がまったく変わらなかったわけではありません。「忘れません」というメッセージを込めた黄色いリボンとともに、人々の中にセウォル号の記憶は強く残っています。

ⓒ YONHAP News
今年の4月16日は、韓国の各所で追悼式が行われました。私は安山市で開かれた記憶式に参加しました。この日のため練習を重ねた「4160人の合唱団」の公演には、胸が震えました。
そしてこの4月は、セウォル号に関する映画や演劇、展示会など、さまざまな作品が公開されました。なかでも特に紹介したいのは、二つの展示会です。一つは、船から引きあげられた持ち主の見つからない遺品や、檀園高校の生徒たちの思い出の品をモチーフにした「回憶庭園」という展示会。そしてもう一つは、檀園高校のある地域で、住民たちがどんなふうに悲しみを分かち合い、遺族たちに寄り添うコミュニティ活動を続けてきたかを見せる「市民の記録展・まちの4.16」という展示です。

惨事を記憶すること、そして記録することの意味を改めて感じました。もちろん韓国社会がセウォル号の教訓を十分に生かせているとは言えません。2022年、梨泰院では大規模な雑踏事故が起き、大切な命がまた失われたことは記憶に新しいことでしょう。
それでも、たくさんの市民が誓った「決して忘れない」という思いは消えず、様々な行動につながっています。セウォル号が投げかけたものは非常に大きいと、私は思っています。

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