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文化

「田舎の市場」ほか

#国楽の世界へ l 2019-02-13

国楽の世界へ


第二の人生を考える頃の47歳に、最初のレコードを出した歌手がいます。規模の小さい貿易会社の社員からはじめ、家具の販売、八百屋など15以上の職業を転々としたそうなので、とても大変な人生だったはずです。最後の職業は、車を整備することでした。お客の中に、歌手、ソ・テジさんのマネージャーがいたそうです。ソ・テジさんが公演をするとき、テピョンソという楽器を吹く人がいなかったようです。テピョンソであれば自分が演奏できるということで、二回ほど公演に参加したこともあります。しばらくして、車の整備の仕事までやめることになると、自分は何ができるか、何がやりたいか、リストを書いてみました。その最後に書いたものが、テピョンソだそうです。今や自分ができるのはこれしかないと思い、イ・クァンスさんのサムルノリペという団体でテピョンソの演奏をはじめました。お金をもらえなくても良いから、ただ演奏をさせて欲しいと懇願したのです。幸い、受賞をするほどに実力を認められました。しかし、彼の本当の実力は、公演が終わってから明らかになりました。彼の歌を聴いたピアニストのイム・ドンチャンさんが、一緒に公演をしようと提案し、彼は舞台に立つことになります。そして、彼は、最も韓国らしい歌い手と評されます。歌手より歌い手の呼び名が似合う、チャン・サイク先生のお話です。今日の最初は、チャン・サイク先生の歌で、「田舎の市場、시골장」という曲をお楽しみください。


田舎の市場というと、色んな物を並べて売っているおばあさんが浮かびます。何かを売るためというより、人に会いたくて出てきているのです。お聴きになった「田舎の市場」という曲の歌詞からは、そんな市場の様子が浮かぶようです。最初の公演が終わってから、チャン・サイク先生ははじめて幸せな感情を感じたそうです。そして、今の自分が存在するのは両親や兄弟、友達、そして、自分を首にした会社の社長を含め、自分を苦しめた人がいたからだと考えました。感謝する気持ちで喜んだそうです。紆余曲折の多かった人生を、ささやくように歌ったり、時には絶叫するように歌いました。人々はまるで自分のお話であるかのように感じ、涙を流したものです。今度は、「サムシギ」という曲です。「サムシギ」とは、家に閉じこもっていて食事は欠かさず食べる人のことをいいます。この曲をチャン・サイク先生の歌でお楽しみください。


この曲には、ノイバラの花の香りはあまりにも悲しいです、という歌詞が出てきます。チャン・サイク先生が歌手になる前、一番大変だったときに作った歌だそうです。暖かい春の風からお花の香りがして、周りを見ると赤いバラが見えました。でも、バラの香りではありませんでした。しばらくを見渡していると、隅っこに白いノイバラの花が咲いています。華やかなバラの中で、堂々とできず、隅っこで咲いている姿がまるで自分のようだと思い悲しんだそうです。そのようにしてできた曲が、後日のチャン・サイク先生を代表する歌になるとは、そのときは知らなかったのでしょう。今日の最後は、チャン・サイク先生の歌で「限りなく広い海、허허바다」という曲をお楽しみください。「限りなく広い海、허허바다」という曲でした。今の時代は、学生も大人もみんなそれぞれ大変な中で生きています。でも、後日の私たちを際立たせるノイバラの花のような何かが、今近くにあるかのも知れません。一歩ずつ最善を尽くして進んでいけば、いつかは限りなく広い海のような未来が訪れるかも知れません。

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