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歴史

韓国人の暮らしを変えた国民的運動

2015-05-26

韓国人の暮らしを変えた国民的運動
ネズミ退治運動、雑穀を混ぜた食事の奨励運動、省エネのためにできるだけ歩こうという徒歩運動などなど。1970年代の韓国には、さまざまな国の政策が、キャンペーンを意味する「国民的運動」という名で暮らしに溶け込んでいました。「国民的運動」は、標語やキャンペーンソングとともに登場し、人々の参加を促しました。こうして、ゆっくりと根を降ろした「国民的運動」は、1970年代の韓国社会を団結させ、時代を導く大きな力となりました。

1970年代に繰り広げられた「国民的運動」を代表するネズミ退治運動。1960年代までは市役所などを中心に実施されていたネズミ退治運動は、1971年、「国民的運動」になりました。韓国政府が、「国民的運動」として大々的なネズミ退治運動を実施した理由は、ネズミが深刻な食糧難をあおっているという判断からでした。当時、「ネズミ退治運動」の中心となった農林部の推定によるとネズミの数はざっと8千万匹。このネズミが食べる食糧が当時の穀物総生産量の8パーセントに達していると見たのです。各家庭にはネズミを駆除するための薬が配られ、ネズミを取る方法も紹介されました。

「ネズミ退治運動」とともに、1970年代を代表する国民的運動のひとつに、雑穀を混ぜた食事や粉ものでの食事を奨励する運動があります。韓国政府が、雑穀や粉ものでの食事を奨励した理由は米の輸入に使われる外貨を節約し、米不足を解消するためでした。1969年、毎週水曜日と土曜日を「粉ものの日」と定めてしまったのです。水曜日と土曜日、全国の飲食店では麦や雑穀を4分の1以上混ぜたご飯を出さなければならず、午前11時から午後5時までは米で作った料理やお酒などの販売が禁じられました。また、マスコミなどを通じて、米よりも小麦粉や雑穀の方が栄養価が高いという内容を大々的に紹介したのです。しかし、白い米で炊いたご飯を最高の食事と思う韓国人の好みを変えることはできず、食糧不足は続きました。1972年、政府は「雑穀を混ぜた食事、粉ものでの食事は愛国の道」という内容の談話を発表します。「楽しい雑穀食事の歌」が全国に響き、飲食店の取締りはもちろん、学校ではお昼の時間になると、お弁当に雑穀が混ざっているかを検査する風景が見られました。

「国民的運動」は、70年代後半に入って愛国心を高める精神的なキャンペーンに変わっていきます。1976年から始まった「国旗降下式」は国民的愛国運動の一つでした。愛国心は強要や抑圧によって生まれるものではないと反発する声もありましたが、「国旗下降式」は1989年まで続けられました。

さまざまな『国民的運動」が繰り広げられた1970年代。「運動」の目標はまちまちでしたが、ほとんどは政府が主導し、国民が従う方式で進められました。当時は権威主義の時代だったため、一定の権威を持っている人や機関が命令すると、それに従うのが当たり前で、過程よりは実績が重視されていました。国民の暮らしがよくなったことより、実績をあげればそれまで、という考えもありました。また、大々的なキャンペーンを繰り広げることで、政治に向かう視線を分散させる効果もありました。「国民的運動」は一種の統治手段としても取り入れられていたといえます。

統治手段の一つだったのかも知れませんが、当時、「国民的運動」に参加していた人たちは時にはこうした大々的なキャンペーンも必要だと思っているようです。不便な点もいろいろありましたが、「国民的運動」を通じて、「個人」よりは「みんな」を考え、国を思う心を持つことができたと思うからです。

韓国の人たちの暮らしを変えてきた「国民的運動」は、1970年代の人たちを導いた大きな道しるべだったのかも知れません。

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