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歴史

朴赫居世

2011-08-24

<b>朴赫居世</b>
韓国の歴史の中でも、新羅の建国時期はミステリーの一つです。
文献記録と考古学的な調査の成果が一致しないからです。
そんな中、2004年の春、新羅の古都・慶州(キョンジュ)で新羅の建国を推測できる貴重な遺物がみつかりました。
新羅の建国始祖といわれる朴赫居世(パクヒョッコセ)の誕生の地と言われる蘿井から新羅初期の遺物と90坪あまりの大きな八角の建物址がみつかったのです。

韓国の代表的な歴史書「三国遺事」には次のような建国神話が載っています。

辰韓の地の6つの村の村長がアル川の上流に集まり
王を定めるために、高いところに上り、遠く南の方向を眺めた。
するとヤン山の麓にある蘿井(ナジョン)という池のほとりで
神々しい気運に包まれた白馬が頭を垂れていた。
村長らがその場所を探していくと、そこには紫色の卵があり
馬は人々の姿を見ると一声長く鳴き、そのまま天に昇って行った。
卵が割れると、中には男児がいた。

高句麗の建国者である朱蒙(チュモン)がそうだったように、新羅の始祖である朴赫居世も紀元前69年に卵から生まれたのでした。
6人の村長たちがこの赤ん坊を東川の水で沐浴させると、その体は光り輝き、鳥や獣は歓喜の踊りを踊り、月と太陽も明るく輝きその誕生を祝いました。
それを見た村長たちはこの赤ん坊の名前を「世の中をその光で治める」という意味の「赫居世」と名付け、姓は朴のような形の卵から生まれたとして「朴」にしたのでした。

朴赫居世が13歳になると、村長たちは彼を王にし、国号をソラボルと定めます。
そして紀元前 53年、今度は龍が閼英井(アルヨンジョン)の池に現れ、その横腹から女児が生まれます。
朴赫居世はこの池の名前から閼英と名付けられた美しい娘を妃として迎えます。

朴赫居世はその妃とともに、国を61年にわたり治めました。
紀元前 32年には首都の金城に王宮を築造して国の基盤を固め、紀元前 38年には樂浪が侵攻してきますが、国境地帯の村の人々が夜になっても門を閉めずに、田畑には穀物が積み上げられている様子を見た楽浪の王は、「道徳の国」だと感心し、そのまま侵攻せずに引きあげたといいます。

名前の通りに新羅を明るく輝かせた朴赫居世は在位61年目の 3年に亡くなります。
その7日後に亡くなった妃とともに、合葬しようとしますが、大蛇が出てきてそれを阻んだため人々は 朴赫居世の体を5つに切り、それを5つの稜に埋めました。
これは死後も東西南北と中央から世の中を治め、5穀豊穣を願うという意味があるということです。

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