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歴史

尹石重

2011-11-24

<b>尹石重</b>
1000編に上る童謡と童詩で親しまれている児童文学者で韓国動揺の父・尹石重(ユン・ソクジュン)は、1911年5月25日にソウルで生まれました。
小学生の頃から、文学的な素質を見せはじめた彼は、13歳になった1924年、児童雑誌「新少年」に童謡「春」を発表し、童謡作りを本格的に始めます。

尹石重は3歳の時に母親を亡くし、祖母の手で育てられました。
他の子どもたちよりも遅い10歳でようやく小学校に入学しますが、当時は日本の植民地時代、学校の音楽の時間にも日本の童謡を歌うほかありませんでした。
そこで彼は韓国の言葉でで歌う童謡を作ろうと決心します。
そして1929年には作曲家・洪蘭坡(ホン・ナンパ)とともに、‘퐁당퐁당(どぶんどぶん)’ ‘낮에 나온 반달(昼間に出た半月)’などの童謡を作ります。

尹石重が「韓国童謡の父」と呼ばれるもう一つの理由があります。
彼の童謡や童詩には韓国固有のリズムが反映しているからです。
韓国の歌には‘時調’という朝鮮時代からの伝統的な定型詩では3・4調、民謡は7・5調、歌辞(詩歌の形式)は4・4調というリズムがあり、彼の詩はこの3種類の律格をうまく組み合わせることで韓国人の情緒にぴったり合うのです。

また彼の詩の特徴は暗い時代背景の中でも、子どもたちに明るく希望に満ちた未来を信じてほしいと、明るい童謡を作ったことにあります。
1933年国内初の童詩「잃어버린 댕기(無くしたリボン)」を発表、1945年8月15日には独立の感激を「새 나라의 어린이(新しい国の子どもたち)」という詩で表現しました。
これらの詩は現在でも韓国で広く歌われています。

その後、韓国初の週刊誌「週刊小学生」を創刊、子どもの日の歌を作るなど活発な活動をくりひろげます。
1956年からは韓国戦争の傷跡から立ち上がろうという子どもたちを支援するための「새싹회(新芽の会)」を立ち上げ、2003年12月9日に亡くなるまで各種の児童支援事業を行いながら、1000編あまりの童謡と童詩を残しました。

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