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歴史

異斯夫

2011-12-29

<b>異斯夫</b>
異斯夫(イ・サブ)は新羅時代の武将で、于山国を新羅の領土に加えた人物です。
于山国は現在の鬱陵島と独島(日本名・竹島)を含んだ海洋王国でした。

異斯夫については三国史記の列伝の中に「眞興王が異斯夫に命じて伽倻国を襲撃させた」という記録があります。
6世紀に、智證王、法興王、眞興王の3代にわたり大きく活躍した新羅の名将・異斯夫は知略に長けた武将でした。

505年、悉直州(現在の江原道・三陟) と 阿瑟羅州(現在の江稜)を治める地方軍主に任命された異斯夫は、512年に新羅の遠征軍を率いて于山国の征伐に乗り出します。
海上の制海権を握る于山国は新羅にとって戦略上、重要な要地でした。
特に高句麗と倭が手を組むことになれば、新羅は海上から圧迫されることになります。
そこで新羅の海上の要塞とするべく于山国の征伐に乗り出しますが、彼は力ではなく知恵でこの征伐を成功させます。

陸地から遠く離れた二つの島は、現在でも波が高く、船が接岸できる確立は40%に過ぎません。
その地理的な特徴を生かして、于山国はなかなか降伏しようとしませんでした。
そこで異斯夫は、木で作った獅子を船に乗せてゆき、「降伏しなければ猛獣を放つ」と脅かしたのです。

仏教の新羅への流入とともに、仏教の守護神である獅子を目にした異斯夫は、軍事戦略家としてそれまで目にしたことのなかった珍しい動物の絵に接して関心を持つようになりました。
そして威厳にあふれた表情の数頭の木の獅子を作り、それを船に載せて持って行ったのでした。
その結果は直ちに現れました。この木の獅子をみた于山国の人々は恐怖におののき、すぐに降伏し毎年新羅に朝貢をささげることを約束しました。
これが鬱陵島と独島が韓国の歴史に登場した瞬間です。

その後、東海を中心に勢力を増していった新羅は、漢江流域にまで進出し領土を拡張しますが、その中心には異斯夫将軍がいました。
541年には最高の官職の一つである兵部令に任命され、漢江流域一帯に続き、大伽倻を落とし、洛東川の下流地域を完全に掌握するなど、三国統一の基礎を築きました。

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