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ⓒ YONHAP News

今回日本でも大きく報道されたという梨泰院のナイトクラブからの新型コロナウイルスの集団感染。このニュースを聞いてソウルに来たことのある方なら梨泰院を懐かしく思い浮かべた方もいるかと思います。しかし梨泰院はソウルの街の中でも変化の非常に大きい町の一つです。そこで今日は梨泰院の歴史、変遷史をご紹介します。


その1.基地の町

歴史的にみると梨泰院は朝鮮時代から現在にいたるまで「異邦人の町」でした。梨泰院という地名自体、梨畑が多かったと言う説、壬申倭乱(豊臣秀吉の文禄慶長の役)の当時、朝鮮に残り帰化した日本人が暮らしていた「異他人(イタイン)」が語源だと言う説などいろいろです。

その後、梨泰院は軍事施設のある町となっていきます。朝鮮時代末期の1882年から1984年までは中国の清国の軍隊が駐屯し、1910-1945年までは日本軍の朝鮮司令部がそしてそれ以後は米軍がここに駐屯しています。まさに昔から基地の町だったわけです。


その2.ショッピングの町

1970年台になると梨泰院には米軍兵士向け、あるいは米軍基地から出てきた品を売る店が立ち並ぶようになり、外国人を対象としたショッピング街が形成されていき、1988年のソウルオリンピックの頃には1800軒の商店が軒を並べるようになります。

ソウルオリンピックの時には一日平均6千人の外国人が梨泰院を訪れ3億ドルの買い物をしたという研究報告書もあります。まさにショッピングの町、梨泰院時代です。

この頃梨泰院で売られていた人気の品、韓国人にも人気のあった品としてはスポーツブランドの運動靴、米兵向けのビックサイズの服やワイシャツのオーダーメイド、ジャケットやカバンなどの皮製品、高級ブランドのイミテーションなどがありました。

リスナーの中にもここで高級ブランドのイミテーションのハンドバック、買われた方がいるのではないでしょうか。私もイミテーションのハンドバック、そしてアンティックの家具をここで買いました。


その3.グルメの町

1953年から米軍の龍山基地があることから、最初は米兵向けのバーやナイトクラブが中心でした。

その後、ソウルで唯一のイスラム寺院があることからイスラム系の食品を扱う食材店や飲食店ができ、さらにアフリカ系の飲食店も登場し、イスラム通り、アフリカ通りができていきます。

1990年からはゲイバーやトランスジェンダークラブが登場し、まさに多様な文化が混在する町となっていきます。自分がゲイであることをカミングアウトし、梨泰院で飲食店も経営している俳優のホン・ソクチョンさんは「最初は外国に行き暮らそうと思っていました。しかし梨泰院に住んでいる外国人の友人たちの応援もあり、韓国に残る勇気がでました。梨泰院は韓国の中の外国そのものです」

その後2000年代になると世界の食べ物が食べられるグルメの町となっていきます。 梨泰院の中央、ハミルトンホテルの裏にブラジル料理、タイ料理、フランス料理、ギリシャ料理のレストランが立ち並ぶようになり世界飲食通りという名前も登場してきます。

しかしその後、テナント料の暴騰、米軍基地の移転など、梨泰院は今、さらに新たな時代を迎えようとしています。

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