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ライフスタイル

第716話 韓国のスポーツと「在日コリアン」

#アジュンマの井戸端会議 l 2023-07-11

玄海灘に立つ虹

ⓒ YONHAP News
伝説のプロレスラー、力道山が今年で死去60年を迎えました。
力道山は北韓出身で、いわば「在日コリアン」でしたが、出身地に関係なく日本で国民的人気を誇っていました。こうした在日コリアンのスポーツスターは少なくありません。

張勲(チャン・フン。張本勲。プロ野球)、力道山(プロレス)、金星根(キム・ソングン。プロ野球監督)、秋山成勲(チュ・ソンフン。柔道、格闘技)、張明夫(チャン・ミョンブ。福士敬章(ふくしひろあき)。プロ野球)などの他、金彩華(キム・チェファ。フィギュアスケート)、申鎔均(シン・ヨンギュン。野球監督)、朴啓祚(パク・ケジョ。バレーボール)、康裕美(カン・ユミ。女子サッカー)など、ずいぶん前から今もなお、数多くのスターが韓国のスポーツの発展に献身しています。

大韓民国政府が正式に樹立する前に開幕した1948年のロンドンオリンピックに韓国が出場できたのも、在日コリアンたちのおかげです。ロンドン行きの直行便を買うことができず、日本を経由せざるをえなかった韓国代表団のためにキムチなどを用意し、およそ64万円という支援金などを渡し力づけてくれました。韓国戦争のさなかだった1952年のヘルシンキオリンピックのときも同様で、韓国代表団は積極的な支援を受けました。しかし日本に住んでいた在日コリアンは、植民地時代には日本人に差別され、解放後も日本人でも韓国人でもない存在として、韓国でも蔑まれました。

秋山成勲選手が日本代表として2002年の釜山アジア大会で韓国の選手に勝って金メダルを手にしたとき、「祖国で韓国に勝った気分はどうか」と韓国人記者から聞かれ、「国でなく一人の柔道選手として勝ったのだ」と答えたのは記憶に新しいところです。秋山選手は在日韓国人4世として大阪で育った柔道選手(現在はプロ格闘家)で、大学卒業後は韓国に帰国し、韓国代表としてオリンピック出場を目指していたものの在日であることから激しい差別に遭い、日本に帰り日本国籍を取得しています。金メダルを獲ったときに「柔道をするために日本国籍を取ったが自分は永遠に韓国人」という発言をしましたが、韓国メディアからずいぶん批判されました。

実はこうした内容は、日本では2012年に発売された、スポーツライターの大島裕史 (おおしま・ひろし)さんの著書「魂の相克 在日スポーツ英雄列伝」にも書かれています。この本の韓国語版(韓国語タイトル「在日コリアン スポーツ英雄列伝」)が最近出版され、この本を紹介する記事が出たのですが、在日のスポーツ選手たちの話を公けにしたのが日本人であり、韓国社会に根強く残っている「異邦人」に対する差別意識や「勝ってなんぼ」の勝利至上主義が依然として蔓延っていると、記事で紹介されていました。

ただ、「2021年に春と夏の甲子園大会に連続で出場した京都国際高校は最初は在日韓国人向けの学校だったのが、今や生徒のほぼ全員が日本人で、こうしたことは以前なら想像もできなかったこと。今の若い世代は自ら目標とする道に必要であれば行動に迷いや固定観念がない。未来の韓日関係はこうした若者たちが培っていくのではないか」という記述があるそうで、韓日関係の明るい未来を感じさせてくれます。

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