メニューへ 本文へ
Go Top

ライフスタイル

一枚の写真

2016-10-12

玄海灘に立つ虹

一枚の写真
台風18号が韓国南部を駆け抜けた先週、その後の7日の新聞に一枚の写真がのりました。釜山市広安里の海岸に打ち上げられた台風によるごみを片付ける外国人の母子3人を写した写真でした。母親らしき女性はタンクトップ姿で長靴を履き、長い熊手を持ち、幼稚園生と小学校の高学年に見える女の子二人も長靴に熊手姿で海岸のごみを集めていました。
この写真をとった住民のキムさん、その後、他の住民の人たちと一緒にこの外国人の親子に加勢し、一緒にゴミ集めをしたということです。キムさんがこの写真をSNS(ソーシャル・ネット・ワーキング)にのせ、それが大きな反響を呼びました。朝鮮日報は社説で
外国人母子3人が取った行動は、自然なものだったのだろう。長期滞在者なのか、誰なのかは分からないが、自分たちが散策し、楽しんでいた白い浜辺が台風のゴミでひどい有様になってしまったのを見て、少しでも片付けようと乗り出したのだろう。韓国の市民の中にも、台風のゴミの掃除に乗り出した人は少なくなかったことだろう。広安里の母子3人は、外国人だから余計目についたということもあり得る。しかしあの広い浜辺でゴミの片付けにまず乗り出したのは、3人の母子だった。
と指摘し 「周りや公務員が自分に何をしてくれるかと望む前に、まず自らやるべきことをやりに出かける社会であってこそ、品格を備えた社会といえる。」

と結んでいました。自分の義務を果たさずに、国が悪い、公務員が悪いと大声で駄々をこねる韓国人の態度はこの3人の母子の前で恥ずかしいと言っているのです、
そして同じ朝鮮日報の東京特派員がその数日後「自然災害を生き抜く日本人の強さ」というコラムでやはり同じような話をしていました。
4月に熊本地震が起きた際に現地で体験した経験をこんな風に綴っています。
記者は震度6-7の地震が過ぎ去ってから現地に到着したため運が良かったが、地震をほとんど経験したことのない韓国人にとっては、震度5でも死ぬかと思うくらいの恐怖を感じる。宿泊先から500メートル離れた場所には自衛隊の車両が止まっていたが、昼間に体験したような地震がまた起これば、自衛隊が来る前に自分が助けを求めに行かなければならない。自分が「生き残るための知恵」について何も知らないこともそのとき初めて知った。
そして日本の防災政策の原点は、自分の命はまず自分で守り、次が近所同士の助け合い、政府と自治体はそれができるように支援する立場だと書いています。1995年の阪神淡路大震災でも建物や家具などに押しつぶされ危うく命を落としそうになったとき、ほとんどの人が自力あるいは家族や隣人に助けだされたとしています。
他人任せではいけない、自然災害で自分の身を守るのは自分自身の判断と日頃の備えだということです。そしてそういう面で韓国はこれまで地震も台風も他人事でした。自然災害が起きればその地域が「特別災難地域」に選定されるかにだけ関心が集まります。税制面での優遇と特別支援が受けられるからです。

おすすめのコンテンツ

Close

当サイトは、より良いサービスを提供するためにクッキー(cookie)やその他の技術を使用しています。当サイトの使用を継続した場合、利用者はこのポリシーに同意したものとみなします。 詳しく見る >