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ライフスタイル

潘基文(パン・ギムン)事務総長

2016-12-14

玄海灘に立つ虹

潘基文(パン・ギムン)事務総長
昨日のニュースでもお伝えしましたが、今月末で退任する国連の潘基文(パン・ギムン)事務総長が、現地時間の12日、アメリカ・ニューヨークの国連本部で開かれた国連総会で最後の演説をし、別れのあいさつを告げました。そこで今日はパン・ギムン事務総長の国連での10年間と、これからについて考えてみたいと思います
まずその略歴を見てみますと
1944年大韓民国忠清北道の農村で生まれる。高校生のときのエッセー大会で受賞し、アメリカを訪問、当時のケネディ大統領と会う。このときの経験をもとに外交官になろうと決心する。1970年に外交部に入り、2004年に外交部長官、2006年に国連事務総長に選出される。
そして1回の再任をへて10年間にわたり国連事務総長のポストにいました。この10年間の事務総長としての任期中に最も高い評価を得ているのは気候変動に対する努力、特にCOP21 (国連気候変動枠組条約 )の締結です。去年4月のパリ協定発効の際にはパン事務総長は
今日、気候の変化と戦うための人類の努力が歴史を作ろうとしています。このような次元で記念碑的といえるパリ気候変動枠組み条約が発効されました。
2015年12月12日のパリ協定は196カ国が満場一致で採択し、全世界のほとんどすべての国々が参加したということで大きな意味があります。しかし紛争地域の問題解決に関しては成果を得られなかったという評価があります。
シリアの内戦やISをはじめとする中東問題で解決策を模索できず、ロシアと欧米との間のウクライナ問題も解決の糸口を見つけられませんでした。イギリスの雑誌「エコノミスト5月21日号」は
 「失敗した事務総長であり、歴代最悪の事務総長の一人。(国連内の)行政能力でも(国連外の)統治能力でも失敗した事務総長とみられている。話が下手で手続きに執着し、懸案への素早い対応能力や業務の深さも不十分だった」
と厳しい批判をしています。そしてそんな事務総長のポストを後に、来年には韓国に戻ってきます。何年も前から次期大統領候補と言われてきましたが、最近はそんな韓国内での人気にも影がさしてきました。インターネットの書き込みには
「国連事務総長のような大きなポストを経験されたのですから、一国の大統領のようなつまらないポストにはつかず、家で孫の相手でもしながらゆっくり休んでください」
といった冷笑的なものも見られます。来年には帰国するという 潘基文(パン・ギムン)事務総長。せめて帰国するまではアメリカでゆっくりと最後の休暇を楽しんでください。

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