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ライフスタイル

海外養子、でも今では高級官僚

2017-06-28

玄海灘に立つ虹

海外養子、でも今では高級官僚
数年前に日本でベストセラーになった本に「置かれた場所で咲きなさい」という本があります。修道女で大学の学長でもある渡辺和子さんの書かれた本です。まさにこの本のタイトルのような人生を歩んでいる韓国の海外養子の人々の話をご紹介します。

韓国の海外養子の歴史は韓国戦争に始まります。戦争で10万人に達する戦争孤児が生じ、ここから海外養子の歴史が始まりました。その後も貧困や未婚の母など、いろいろな事情で海外に養子に出される子供たちがいました。そして養子に出された国でしっかり根を張り、今ではその国の主役となっている人々です。

ジャン=ヴァンサン・プラセ(Jean-Vincent Placé)長官は2016年2月11日、フランソワ・オランド仏大統領から国家改革長官に任命されました。1968年ソウルに生まれ、1975年7歳のときにフランスに海外養子に出されました。会計士として働きながら緑の党に入り政治家としての道を歩みだしました。

2014年に出版された自叙伝「私ができない理由はない」では「25歳のときに私は40歳以前に国会議員になるんだという夢をもった。こんな人生計画をトイレの壁にも張り出した」と語っています。また朝鮮日報とのインタビューでは「数年前までも自分を捨てた韓国に対して良い感情を抱いてはいなかったが、2013年に娘が生まれてから韓国に対する考えも変わった。娘と一緒に韓国語も習ってみようと思う」と語っています。

フルール・ペルラン(Fleur Pellerin)元長官は 。2012年フランス大統領選挙において、第1次ジャン=マルク・エロー内閣で初入閣、中小企業・イノベーション・デジタル経済担当大臣となりました[8]。2012年6月から第2次ジャン=マルク・エロー内閣でも引き続き中小企業・イノベーション・デジタル経済担当大臣を担当。2014年4月より第1次マニュエル・ヴァルス内閣の対外交易・観光開発・在外同胞担当長官[2]、同年8月26日より第2次マニュエル・ヴァルス内閣の文化・通信大臣[1]を」つとめ、2016年2月11日付けで辞職しました。

生後3〜4日で道端に捨てられ、孤児院に預けられたのち、生後6か月でフランスに海外養子となります。2013年、養子に出された後、初めて韓国の地を踏んだ彼女は「地下鉄でも自由にインターネットをしている姿が非常に印象深い」と語っていました。また「韓国人としてのプライドはあるが実の両親を探すつもりはない」と述べ、さらに成功した韓国人海外養子といわれることに対して「自分は骨の髄までフランス人」だと語っていました。現在は韓国企業のフランス投資を助けるコンサルタント会社を経営しています。

スウェーデンの国会議員、エシカ・ポルピエフ( Jessica Polfjärd)さんは18歳からスウェーデン穏健党の青年組織に所属して政治を学び始め、20歳で市議会議員に、 35歳で国会議員に当選しています。

1971年、ソウルの警察署に前に捨てられているのを発見され保育園で育てられ、翌年に海外養子となりました。スウェーデンに行ってからは人口15万人の小都市で暮らしていた彼女は「当時、スウェーデンには移民者があまりおらず、韓国から一緒に養子に来た妹と私は当然人々の目につきました。どこから来たのかとはよく聞かれましたが、いじめや差別は経験しませんでした。最初に韓国を訪れたとき、到着してタクシーに乗りましたが40年前に海外養子に出されたときもこの同じ道を通り過ぎたんだと思うと、妙な気分になりました」と語っています。

フンヨン・ハプグッド(Hoon Yung Hopgood)議員は2010年にアメリカ上院議員に当選しました。1974年に仁川で生まれ保育園に預けられ1976年にアメリカに海外養子となりました。

2011年に韓国で行った講演で彼は「教育者だったアメリカ人の両親のおかげで、白人社会でも政治家になれました。両親は私に教育がすべてを克服する力を与えるという信念を与えてくれました」と述べています。

海外養子になった人々の中でもビジネスで成功している人もたくさんいますが、政治の世界で活躍する人が特に注目を浴びるのは、姿かたちは韓国人でもしっかりその国の社会に溶け込み、その国の未来を作る仕事に従事しているからでしょうか。まさに置かれた場所で大輪の花を咲かせた人々です。

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