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ライフスタイル

三星電子と水原市

2017-09-06

玄海灘に立つ虹

三星電子と水原市
三星電子の本社のある水原市メタン洞の商人たちは最近三星に対する不満がたまっています。どうしたんでしょう。環境汚染、交通渋滞? そんなことではありません、三星電子の職員たちが昼食時間に外に出てこないで系列会社の運営する社内食堂でお昼を済ませてしまうからです。また三星電子とのビジネスでやってきた人も、最近は近くのホテルではなく、4年前に近くのドンタンにオープンしたホテル新羅の経営するビジネスホテルに泊まる人が多いからです。

お昼時でも近くの食堂は空席が残っている状態です。店の主人は。

「ホールに10個、ルームに10個テーブルがありますが、一日に4回転しないと儲けがでません。三星電子の社内には食堂が21個もあるんです。牡蠣の季節には牡蠣を食堂に山のように積み上げて自由に食べさせているといいます。そんなに待遇の良い食堂が社内にあるのに誰が外まで食べに来ますか」

水原にある三星本社は4万人が勤務する巨大企業団地です。巨大な敷地の中にたくさんの食堂があることもありますが、会社から外に出るのに20分、また戻るのに20分もかかるので、一度社内に入ればなかなか外に出てこられないという事情もあるようです。また水原市内のホテルは

「サードのせいで中国人観光客が減り、三星関連のビジネス客はドンタンの新羅ステイホテルに奪われ、経営難で最近では水原市内のホテルが10件も売りに出ています」

と嘆いています。そしてこれには水原市まで乗り出し、今年の4月に三星電子にこんな公文を送りました

「地域の共生の一環として三星電子に協力を要請する。三星電子のビジネス客は水原市内の宿泊施設を利用するように積極的な協力をお願いする」

また毎年、水原市の華城文化祭へだしていた支援金3千万ウォンを今年は三星電子が断るなど、水原市との間に摩擦も起きています。これらの声に対して三星側は

「4万人の職員の中で3万5千人が13の社内の食堂で、10%ほどの4千人が外部で昼食を取ります。この職員たちは時間を惜しんで、時間に終われて研究をしている人々です。」

三星電子は1969年12月に水原市メタン洞で誕生しました。1970年代から80年代まで三星電子の月給日には水原のチキン屋は三星電子の職員であふれると言われたほど、この地域は三星電子と共に発展してきました。ですから地域の人々の三星にかける期待も大きく、それが裏切られたと感じている今、恨みの声も高いと言えます。また三星電子としては副会長が逮捕されたことで社内の雰囲気は沈んでいます。
日本にも企業城下町と言われている都市がありますが、水原市はまさに三星電子の企業城下町です。企業が巨大になればなるほど、グローバル化すればするほど、厳しい国際競争で生き残るために、だんだんと地域との関係が薄れていくほかないということでしょうか。

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