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ライフスタイル

JSAから北韓兵士亡命

2017-11-15

玄海灘に立つ虹

JSAから北韓兵士亡命
ニュースでもお伝えしましたが、南北軍事境界線がある板門店の共同警備区域で13日に北韓の兵士1人が韓国側に亡命しました。その亡命の過程が監視カメラの映像などを通じて確認されました

北韓軍の兵士は、4輪駆動車に乗ったまま軍事境界線を越えようとしたものの、タイヤが排水溝にはまって動けなくなったため断念し、徒歩で移動していたことがわかりました。これに対して、北韓側からは40発余りの発砲があり、兵士は腹や肩などに5発の銃弾を受けて負傷したということです。

共同警備区域JSAは映画にもなったように、南北の兵士が軍事境界線を間にして互いに向き合ってたっている、非常に警備の厳しい場所です。それでもこの警備の厳しい地域でも北からの亡命これまでにも2回ありました。

1回目は1998年2月3日、JSAの警備を担当していた北韓軍の中尉が拳銃1丁を持ったまま、韓国側に亡命してきました。2回目は2007年9月6日、北韓軍の兵士が亡命してきました。この2007年の時には当時の国防部は詳しい内容を発表していません。

このようにJSAを通じての亡命は2007年以来のことですが、今回のようにJSA内での銃撃は1984年11月以来のことです。1984年には旧ソ連の兵士が亡命してきました。 今回の亡命事件、当事者の兵士はまだ意識がもどらず重態の状態ですから、亡命に対する詳しい内容を聞くにはまだ時間がかかりそうです。しかしニュース番組のコメンテーターとして出演していた脱北者の元北韓軍の将校は

「ジープ車を運転していたということは、兵士といっても運転兵だったのでしょう。そうだとすればこの車は本人が普段運転していた車で、JSAの警備兵はもちろん、運転兵も兵士だとは言っても北韓幹部の子供などその身分は高いことが予想されます」

と言っていました。一方今回の事件では、この重態の兵士を手術した担当医が注目されています。兵士がヘリコプターで運ばれたのはアジュ大病院京畿南部圏域外傷センターで、救急患者を専門に扱う病院です。そして兵士の出術を行ったイ・クッジョン教授は2011年、ソマリアで海賊に拉致され人質となりその後救出された瀕死の船長の手術をしたことでも知られています。また医療ドラマとして人気を得た「ゴールデンタイム」「浪漫ドクターキムサブ」の実際のモデルだとも言われています。そんなイ教授が語った北韓兵士の状況はといいますと

「今後10日間がヤマです。傷を受けた内臓の汚染がひどく、強制的に縫合している状態です。原則的に48~72時間の観察後、2次手術にとりかかります。2次、3次手術が必要な状況です」

一方 JSAは外国人向けの観光が行われている地域でもあります。北韓軍兵士の亡命事件のあとでも軍関係者はマスコミの取材に対して

「 JSA観光の予定の入っている日は取り消さずに予定どおり観光を行います。観光は車で周辺を見てまわるだけ、などいろいろな方法があります。どのような方法で行うかはわかりませんが、観光は予定どおり行います」

とはなしています。まるで映画の一場面のような亡命でした。それだけ北韓社会に変化の兆しが見られるということなのでしょうか。亡命兵士が健康を回復することを韓国人みんなが祈っています。

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