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旅行

文化と芸術の空間に生まれ変わったソウル広場

2010-06-29

文化と芸術の空間に生まれ変わったソウル広場

ソウル地下鉄2号線、市庁(シチョン)駅を出ると、緑の芝生が印象的な楕円形のソウル広場が現れます。冷たい水しぶきをあげる噴水がある緑の広場は殺風景になりがちなソウルの都心にみずみずしさを与えています。

現在のソウル広場が作られたのは2004年5月。それまでここは1963年に作られた噴水を中心に、交差路の役割を果たしていた交通広場で、市庁前広場と呼ばれていました。道路ですから芝生などはあるはずもなく、いつも車があふれていました。この交通広場が本当の広場として生まれ変わったきっかけは2002年に開かれた韓日ワールドカップでした。ワールドカップ大会をきっかけにソウル市庁前の広場は海外でも知られるソウルの観光スポットになりました。これをきっかけに韓国内でも、市民が集まり、互いにコミュニケーションできる空間の必要性が問われ始めます。

ソウル市庁前の広場というと、ワールドカップの時の熱狂的な応援を思い浮かべますが、朝鮮時代の王宮、徳寿宮(トクスグン)と隣り合わせに並んでいて、韓国の近代史を見守ってきた歴史的な空間でもあります。

明成(ミョンソン)皇后が刺客によって暗殺されるという事件が起きると、身の危険を感じた朝鮮王朝26代目の王、高宗(コジョン)はロシア公館に身を隠します。1897年、ロシア公館を出て徳寿宮に戻った高宗は国の基盤を立て直すために、徳寿宮の正門、大漢門(テハンムン)の前に放射線状に延びる道路を作り、前方に円形の祭壇、圓丘檀(ウォングダン)と大きな広場とを作らせました。この時に作られた広場が後のソウル市庁前広場で、その後、独立運動や民主化運動など激動の波にさらされた韓国の近現代史の舞台となったのです。

現在のソウル広場を作るための工事が始まったのは2004年3月でした。アスファルトの代わりに、緑の芝生が敷かれ、新しい噴水も作られました。花崗石の歩道に囲まれた13,200平方メートルの芝生広場が造成されました。ソウル広場を上から見下ろすと、四角い広場の中に円形の芝生広場が入っている形をしています。これは韓国の伝統屋敷、韓屋(ハノク)の大広間に座って眺める丸い月を象徴しています。屋敷の建物に囲まれた四角い夜空に明るい満月が浮かんでいる姿を象ったデザインです。このデザインには大広間に座って月を眺めながら休むように、ゆったりとしたひと時を送ってもらいたい、韓国の情緒と文化を感じてもらいたいという気持ちが込められています。

ソウル広場のもう一つの自慢は文化・芸術公演です。4年前から春から秋にかけて、ソウル広場では毎晩、文化と芸術の公演が開かれています。「文化と芸術があるソウル広場」というテーマで開かれるソウル広場の文化公演は芸術団体や企業のボランティアなどによって進められています。内容も充実していて、6月10日からはミュージカルショーが開かれています。

かつてはソウルの都心を結ぶ交差路だった場所が、今ではさまざまな公演や博覧会が開かれる文化公演の空間になりました。文化と公演、そして韓国の歴史が息づいているソウル広場はソウル市民と観光客にとってビタミンのような存在なのです。

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